タイトル:『俺たちは、最高に気が合う“親友”カップルだ。〜「ただのダチだろ?」と笑い合っていたら、いつの間にか周囲から夫婦扱いされていた件〜』
「……っし、そこだ!」
薄暗いゲームセンターのフロアに、俺——相沢朔(あいざわ さく)の歓喜の声が響き渡る。画面の中では、俺の操る格闘ゲームのキャラクターが、見事な連続コンボを決めて対戦相手のHPゲージをゼロに消し飛ばしていた。
「K.O.」という無機質な電子音声が流れた瞬間、俺は大きく息を吐き出してレバーから手を離した。
「ふぅ……これで十連勝。今日の俺、キレッキレだな」
高校一年の春。入学したての鬱憤を晴らすかのように、俺は放課後のゲーセンに入り浸っていた。対面台の向こう側にいる見知らぬ相手を次々と薙ぎ倒し、一種の無双状態に入っていたのだ。
その時だった。
カチャリ、と対面側の筐体に硬貨が投入される音が響いた。「HERE COMES A NEW CHALLENGER!」というけたたましい乱入演出が画面を覆い尽くす。
「おっ、また来たな。誰が相手でも返り討ちにしてやるよ」
俺はニヤリと笑い、再びレバーを握り直した。だが、そこから始まったのは、俺のゲーセン人生においても類を見ないほどの地獄のような死闘だった。
相手の動きは、先ほどまでの有象無象とは次元が違った。俺が隙を突いて攻撃を仕掛ければ、ミリ単位の精度でガードされ、逆に強烈なカウンターを叩き込まれる。
「なっ……! まじか、そのタイミングで差し込んでくるか!?」
「甘い甘い! そこ、ガラ空きだよ!」
対面台から聞こえてきたのは、やけに透き通った、しかし好戦的な声だった。女の子……? いや、そんなことを考えている余裕すらない。俺のHPゲージは瞬く間に削られ、気づけば画面には「YOU LOSE」の文字が残酷に点滅していた。
「うそだろ……俺の十連勝が……」
「へへっ、どんなもんよ! 連続勝利記録、ストップさせてやったぜ!」
対面台からひょっこりと顔を出したのは、茶色い髪をポニーテールにまとめた、信じられないほど顔の整った美少女だった。制服のリボンは少し緩んでおり、その勝気な瞳が俺を真っ直ぐに射抜いている。
「お前……女だったのか?」
「は? 女が格ゲーやっちゃ悪いわけ? それとも、女に負けて悔しいって泣いちゃう系男子?」
「誰が泣くか! もう一回だ、もう一回! 偶然だろ今の!」
「いいよ、何度でも相手してやる。百円玉、足りる?」
そこから俺たちは、閉店時間ギリギリまで狂ったように対戦を繰り返した。勝ったり負けたりを繰り返し、最終的な戦績は十五勝十五敗の完全な引き分け。お互いの財布の小銭が完全に尽きたところで、ようやく俺たちは筐体から離れた。
「はぁ……はぁ……お前、マジで強えな。あの起き上がりの無敵技、えぐすぎだろ」
「そっちこそ、あの投げ抜けの精度異常だろ。人間辞めてんの?」
ゲーセンの外、すっかり暗くなった夜道を並んで歩きながら、俺たちは自販機で買った缶コーラで乾杯した。
「俺、相沢朔。お前は?」
「星宮結愛(ほしみや ゆあ)。いやー、久々に骨のあるヤツとやれて楽しかったわ。朔、お前なかなか見どころあるよ」
「何様だよ。でもまぁ、俺も楽しかった。お前みたいなヤツが同じ学校にいるとは思わなかったぜ」
結愛は缶コーラを一気に飲み干すと、「ぷはっ」と親父くさい息を吐いた。見た目は学校でもトップクラスの美少女なのに、中身は完全に近所の悪ガキ男子だ。
「よし、朔。今日からお前は私のライバルであり、戦友だ。連絡先、交換しとこ」
「おう。いつでも挑戦受けて立つぜ、ダチ公」
これが、俺と結愛の出会いだった。お互いを「最高の親友」と信じて疑わない、長くて騒がしい関係の、熱すぎる幕開けである。

高校二年の秋。俺と結愛は、すっかり「いつも一緒にいるコンビ」として学校で認知されていた。クラスも同じ、趣味も同じ、ノリも同じ。俺たちにとって、一緒にいる時間は呼吸をするのと同じくらい自然なものになっていた。
今日の放課後も、俺たちは駅前のファミリーレストランに陣取っていた。テーブルの上には広げられた数学の教科書とノート、そして山盛りのフライドポテト。名目は「期末テストに向けた真面目な勉強会」である。
「……で、ここのサインとコサインを変換して……よし、解けた!」
俺がシャーペンを置き、ドヤ顔でノートを指差した瞬間、結愛の指がスッと伸びてきて、俺の頼んだフライドポテトの一番長くてカリカリのやつを掠め取った。
「あむっ。うん、今日のポテトは塩加減が絶妙だね」
「おい待て。お前、今ナチュラルに俺のポテト食っただろ。しかも一番美味そうなやつを」
結愛は口をもぐもぐさせながら、悪びれる様子もなく首を傾げた。
「え? ポテトってテーブルの中央に置かれた時点で『みんなの共有財産』になるルールじゃなかったっけ? 資本主義の崩壊だよ、朔」
「どんな独自ルールだよ! しかも金払ってんの俺だからな! お前はドリンクバーしか頼んでねえだろ!」
「細かいこと気にするとハゲるよ? ほら、私のメロンソーダ一口あげるから機嫌直して」
そう言って結愛は、自分がさっきまで口をつけていたストローが刺さったグラスを俺の前に押し出してきた。
「いらねえよ! なんで俺が緑色の毒々しい液体を飲まなきゃなんねえんだ!」
「毒々しいとは何事だ、メロンソーダ過激派に消されるぞ!」
そんな不毛な言い争いをしていると、たまたま通りかかったクラスメイトの健太が、呆れたような顔で俺たちのテーブルを覗き込んできた。
「お前らさー、相変わらず夫婦漫才やってんな。てか、間接キスとか全然気にしねえのな。もう付き合っちゃえば?」
「「は?」」
俺と結愛の声が見事なユニゾンで重なった。俺は即座に手を振り、結愛は心底嫌そうな顔で顔をしかめる。
「付き合う? 俺とこいつが? ないないない。天地がひっくり返ってもないわ」
「そうだよ健太。朔は私の残飯処理班兼、ゲームのサンドバッグだからね。性別が違うだけで、中身はただの腐れ縁の兄弟みたいなもんだし」
「誰が残飯処理班だ! てめえの食い残しなんて絶対に食わねえからな!」
「あ、そう? じゃあこの残ったハンバーグの付け合わせのニンジン、食べてくれないんだ。へー」
「……ニンジンは食う。もったいないからな」
「ほら見ろ、立派な処理班じゃん」
ギャハハと笑う結愛を見て、健太は「お前ら、それ完全に付き合ってる奴らの空気感だからな……」とボヤきながら去っていった。
健太のやつ、何を言ってやがる。俺と結愛は、互いに背中を預け合える「最高の親友」だ。恋愛感情なんて甘っちょろいものが入り込む余地なんて、1ミリもない。
「おい結愛、他人のポテト食った分、この数学の応用問題教えろ」
「えー、めんどくさい。ポテト一本で私の頭脳を働かせようなんて甘いね。せめて唐揚げを追加しろ」
「お前マジで食い意地張ってんな……店員さーん、唐揚げ一つ」
「やった! 朔、愛してる!」
「はいはい、俺も愛してるよお前のその単純な脳みそがな」
息をするように軽口を叩き合う。この心地よいテンポこそが、俺たちにとっての絶対的な日常だった。この時の俺たちは、周りから見れば自分たちがどれだけ「付き合っているようにしか見えない」か、全く自覚していなかったのだ。
高校二年の夏休み。俺たちの「親友関係」は、ある出来事をきっかけに、さらに奇妙な方向へと加速することになった。
「朔ー、開けろー。私だ、お前の親友だー」
うだるような暑さの午後、俺の家の玄関のドアをドンドンと叩く音が響いた。ドアを開けると、そこにはキャリーバッグを持った結愛が、額に汗を浮かべて立っていた。
「お前……なんでそんな大荷物なんだよ。家出か?」
「違う違う。うちの親、急に親戚の不幸とかで一週間くらい実家帰ることになっちゃってさ。私、一人で家にいると餓死するか、ガス爆発起こすかの二択じゃん?」
「お前の生活能力の低さを堂々と語るな」
「で、朔の家、今週はおばさんたち出張でいないんだろ? だから、私たちが一緒に住めば、ウィンウィンの関係が築けるってわけ!」
「ウィンウィンなのはお前だけだろ! 俺に何のメリットがあるんだよ!」
「私が毎日ゲームの対戦相手になってあげる」
「……上がれ」
こうして、俺と結愛の奇妙な「同棲生活(ただし親公認の合宿という名目)」がスタートした。
お互いの親同士も仲が良く、「朔くんがいれば結愛も安心ね」と完全に信頼しきっている。男女が一つ屋根の下にいるというのに、この危機感のなさはどういうことだ。
だが、実際に生活が始まってみると、色気もクソもなかった。
「おい結愛! お前また脱いだ靴下その辺にポイってしただろ! 洗濯カゴに入れろって言ったよな!?」
「うるさいなー、おかんかよ! 今ゲームのいいところなんだから話しかけんな!」
「お前が俺の家のテレビ占領してんだろ! てか、俺のプリン食ったの誰だ!」
「私に決まってんだろ! 冷蔵庫に名前書いてないプリンは『食べてください』って意味だって古事記にも書いてある!」
「書いてねえよ! いい加減にしろこの野生児!」
毎日がこんな調子だ。リビングには俺たちのゲームのパッケージが散乱し、テーブルの上には食べかけのスナック菓子。完全に「男友達が泊まりに来ている」状態である。
しかし、そんな生活の三日目の夜。少しだけ空気が変わる瞬間があった。
その日は深夜まで二人でホラー映画のDVDを見ていた。結愛は平気な顔でポテトチップスをかじっていたが、俺は予想以上のスプラッター描写にすっかりビビり散らしていた。
「いや、今の絶対後ろにいるだろ! 振り返るな主人公! ああっ、言わんこっちゃない!」
「朔、うるさい。映画の音声聞こえない。てか、お前ホラー耐性なさすぎ」
「うるせえ! お前の神経が太すぎるんだよ!」
映画が終わる頃には夜中の三時を回っていた。俺たちはリビングに布団を二つ並べて敷き、そのまま雑魚寝することになった。
「ふわぁ……眠い。じゃあな朔、おやすみ」
「おう、おやすみ。……おい、電気消すなよ。豆電球くらいつけとけ」
「ビビりか。まあいいけど」
部屋が薄暗くなり、静寂が訪れる。隣の布団からは、すぐに結愛の規則正しい寝息が聞こえてきた。
ふと、俺は隣で眠る結愛の顔を見た。
起きている時はギャーギャーとうるさいし、表情もコロコロ変わる。だが、こうして無防備に眠っている顔を見ると、まつ毛は長いし、肌は白いし、唇はほんのりと赤い。
「……なんだよ。黙ってれば、普通に美少女じゃねえか」
無意識にそんな言葉が口から漏れた瞬間、俺は自分でも驚くほど心臓がドクンと跳ねた。
——いやいやいや! 何を考えてんだ俺は! こいつは結愛だぞ!? 俺のプリンを勝手に食って、靴下を脱ぎ散らかす野生児だ!
俺は慌てて目をそらし、天井を見つめた。
「……んん、朔……ポテト、返せ……」
寝言でまで俺のポテトを狙っている親友の言葉を聞いて、俺は毒気を抜かれたようにため息をついた。
「……やっぱり、ただのバカだな」
そう呟きながらも、俺はなぜか、隣にこのバカがいることに、ほんの少しだけ安心感を覚えている自分に気づかないふりをした。
夏休みが明け、季節は秋へと移り変わっていた。学校では体育祭の準備が本格化し、クラスごとに様々な出し物や競技の練習に追われていた。
結愛はなぜか、女子のチアリーディングのメンバーに選ばれていた。本人は「動きやすいジャージがいい」と文句を言っていたが、女子たちの「結愛ちゃんが着たら絶対可愛いから!」という謎の圧力に屈したらしい。
放課後、俺がグラウンドの隅で玉入れの準備を手伝っていると、チアの練習を終えた結愛が駆け寄ってきた。
「おい朔! 見ろよこの格好! 腹が出てるからスースーして落ち着かないんだけど! これ考えた奴、絶対変態だろ!」
「ぶっ……!」
俺は持っていた紅白玉を思わず落としそうになった。
結愛の着ているチアリーダーの衣装は、赤と白を基調としたノースリーブのトップスに、かなり短いプリーツスカート。そして、本人が言う通り、健康的な白いお腹がチラリと見えている。
「お、お前……なんだその格好……」
「だからチアの衣装だってば。似合わないのは分かってるけど、笑うなよ」
「いや、笑ってねえけど……その、なんだ。……悪くないんじゃねえの」
俺が珍しく素直に褒めると、結愛は目を丸くして「お、おぅ。サンキュ」と少し気まずそうに視線を逸らした。
その時だった。
「星宮さん! ちょっといいかな?」
爽やかな声と共に現れたのは、サッカー部でキャプテンを務める一つ上のイケメン、藤堂(とうどう)先輩だった。彼は校内でもファンクラブがあるほどの有名人だ。
「あ、藤堂先輩。お疲れ様です。どうしたんですか?」
「いや、さっきチアの練習見てたんだけど、星宮さんすごく似合ってたよ。その……もしよかったら、今度の日曜日、俺と二人で映画でも見に行かない?」
——は?
俺の思考が、一瞬完全に停止した。
映画? 二人で? 藤堂先輩が、結愛をデートに誘っている?
結愛は突然の誘いに戸惑ったように瞬きをしている。
「え? 映画ですか? いやー、私、映画館行くとすぐ寝ちゃうタイプでして……」
「ははっ、星宮さん面白いね。じゃあ、カフェでゆっくり話すだけでもいいよ。連絡先、教えてくれないかな」
藤堂先輩は、爽やかな笑顔を崩さずに一歩距離を詰めた。
その瞬間、俺の胸の奥で、今まで感じたことのない「ドス黒い何か」が爆発した。
チリチリと焼け焦げるような苛立ち。俺の大事なテリトリーに、土足で踏み込まれたような強烈な不快感。
気がつけば、俺は結愛の腕をガシッと掴み、藤堂先輩と結愛の間に割り込んでいた。
「わりぃ先輩。こいつ、今度の日曜は俺と新作のスマブラで対戦する約束があんだわ。だから暇じゃねえんですよ」
俺の低い声に、藤堂先輩は驚いたように目を丸くした。
「え? あ、相沢くん? いや、でも星宮さんの都合も……」
「行くぞ、結愛。次の打ち合わせの時間だ」
俺は藤堂先輩の言葉を遮り、結愛の腕を引いて強引にその場から歩き出した。
グラウンドの裏手まで来たところで、ようやく結愛が俺の手を振り解いた。
「ちょっと朔! なに怒ってんの!? 藤堂先輩、困ってたじゃん!」
「怒ってねえよ!」
「怒ってる顔だろどう見ても! なんでいきなり邪魔したわけ? もしかして……ヤキモチ?」
結愛がニヤニヤとからかうように顔を覗き込んでくる。その顔を見ると、さらに苛立ちが募った。
「なわけねえだろ! お前みたいなガサツ女にヤキモチなんか焼くか! 俺はただ……」
「ただ?」
「お前が変なチャラ男に騙されないように、親友として保護してやったんだよ! ああいう奴はな、お前のポテトを奪うような凶悪な本性を隠し持ってんだ!」
「なんだその理論! てか藤堂先輩はポテト泥棒じゃないし!」
結愛は呆れたようにため息をついた後、ふっと表情を和らげた。
「まぁ、でも……ありがと。正直、ああいうのどう断っていいか分かんなかったから、助かった」
「……お、おう。次からはちゃんと自分で断れよな」
「へーへー、過保護なオカンですねー」
笑い合う結愛を見ながら、俺は胸の奥で燻る感情に蓋をした。
これは親友としての保護欲だ。お互いの背中を守り合う、戦友としての責任感だ。
決して、他の男に結愛を取られたくないという、みっともない独占欲なんかじゃない。
俺は自分にそう言い聞かせながら、熱くなった顔を冷ますように、秋の冷たい風を深く吸い込んだ。
季節はさらに進み、木枯らしが吹き始める晩秋。
文化祭の最終日。後夜祭のキャンプファイヤーが終わり、生徒たちが三々五々に家路につく中、俺と結愛は二人並んで夜道を歩いていた。
祭りの後の独特の寂寥感と、急激に冷え込んだ空気が、俺たちの間の会話をいつもより少しだけ少なくさせていた。
「……ぶっくしょん!」
隣を歩いていた結愛が、派手なくしゃみをした。見れば、文化祭のクラスTシャツの上に薄手のカーディガンを羽織っているだけだ。
「お前、バカか。十一月の夜にそんな薄着で歩いてたら風邪引くだろ」
「だって、昼間は暑かったんだもん……まさかここまで冷え込むとは思わなかったし」
鼻をすする結愛を見て、俺は小さくため息をつき、自分が着ていたオーバーサイズのパーカーを脱いだ。
「ほら、これ着とけ」
「え? いや、でも朔も寒いだろ」
「俺は中に長袖着てるから平気だ。いいから着ろ。お前が風邪引いてゲームの対戦相手がいなくなったら困るのは俺なんだよ」
強引にパーカーを押し付けると、結愛は「……サンキュ」と小さな声で言い、パーカーに袖を通した。俺のサイズなので、結愛が着ると指先まですっぽりと隠れ、まるでワンピースのようにダボダボになっている。
「うわ、朔の匂いがする」
「変なこと言うなキモい。汗臭いとか言うなよ」
「言ってないし。……なんか、落ち着く匂い」
「は?」
結愛の呟きが小さすぎて、俺は聞き返す。結愛はパーカーのフードを深く被り、顔を隠すようにそっぽを向いた。
「なんでもない! てか、お前意外と優しいとこあるよな。普段は私のプリン食う悪魔のくせに」
「それお前だろ! ……まぁ、俺たちはダチだからな。これくらい普通だ」
「……ダチ、ねぇ」
結愛は歩きながら、ぽつりと呟いた。その声には、いつもの元気なトーンとは違う、何かを探るような響きがあった。
「……朔さ」
「ん?」
「私たちって、周りから見たらどう見えてるのかな」
「どうって、そりゃあ最高に気の合う親友だろ。健太たちには夫婦漫才とか言われてるけど、あいつらの目は節穴だからな」
俺がいつものように笑い飛ばそうとすると、結愛は立ち止まり、俺の方をじっと見つめた。街灯の光に照らされたその瞳は、いつになく真剣だった。
「本当に、ただの親友、なのかな」
「……え?」
「最近さ、私、おかしいんだよ。朔が他の女子と話してるのを見ると、なんか胸の辺りがモヤモヤするし。朔に『ダチ』って言われるたびに、ちょっとだけ……寂しいって思う」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が早鐘のように鳴り始めた。
俺は、気の利いたツッコミも、冗談で返すこともできなかった。
結愛の袖口から少しだけ覗いている指先が、寒さのせいか、それとも緊張のせいか、わずかに震えている。
俺は無意識に手を伸ばし、その冷たい指先に自分の指を重ねた。
「……っ!」
結愛が小さく息を呑む。
普段なら「セクハラ!」「キモい!」と騒いで、俺の手を払いのけるはずの結愛が、今はただ、俺の手の温もりを受け入れている。
俺たちの間にある「親友」という絶対的な免罪符が、音を立てて崩れていくのを感じた。
「結愛、俺……」
俺が何かを言おうとしたその時、遠くから「おーい! 朔、星宮!」と、クラスメイトの声が響いた。
ハッとして、俺たちは弾かれたように手を離した。
「あ、ご、ごめん! 私、先帰るわ! パーカー、洗って返すね!」
結愛は顔を真っ赤にして、脱兎のごとく走り去ってしまった。
一人残された俺は、自分の手のひらに残る結愛の微かな温もりを見つめながら、夜空に向かって深く息を吐き出した。
「……バグってんな、俺の頭」
友情という枠組みにはもう、俺たちの関係は収まりきらなくなっていた。

十二月。街がクリスマスイルミネーションで浮かれ始める頃、俺と結愛の関係は、かつてないほどぎこちないものになっていた。
あの日以来、お互いに意識しすぎてしまい、会話のテンポが微妙にズレるのだ。
「お、おはよう朔」
「お、おう。おはよう結愛」
「今日のポテト、食べる?」
「あ、いや、俺はいいわ。お前食えよ」
「えっ、あ、うん。ありがと」
……なんだこのクソつまらない会話は。
かつては息を吸うようにボケとツッコミを繰り広げていた俺たちが、まるで初対面の男女のようにお互いの顔色を窺っている。
このままじゃダメだ。
この心地悪さを終わらせるためには、曖昧な関係に白黒つけるしかない。
終業式の日。俺は結愛を、放課後の屋上に呼び出した。
「……で? わざわざこんな寒いとこに呼び出して、何の話?」
マフラーに顔をうずめた結愛が、少し緊張した面持ちで俺を見上げている。
俺は冷たい風に吹かれながら、覚悟を決めて口を開いた。
「結愛。俺たち、もう『ダチ』って言い訳すんの、やめにしねえか」
「……え?」
「俺、最近ずっと考えてたんだよ。お前と一緒にいるのが一番楽しいし、お前が他の男と笑ってるのを見ると腹が立つ。お前にポテトを勝手に食われても、腹は立つけど許せるのはお前だけだ」
俺は一歩、結愛に近づいた。
「俺にとって、お前は背中を預けられる戦友で、最高の相棒だ。でも、それだけじゃ足りなくなった。俺は、お前を俺だけのものにしたい」
静まり返る屋上。遠くから吹奏楽部の練習する音だけが微かに聞こえてくる。
結愛はマフラーを口元まで引き上げたまま、じっと俺の目を見つめ返していた。そして、しばらくの沈黙の後、彼女はふっと息を吐き、いつもの勝気な笑みを浮かべた。
「……ダサい。何その告白。ポテト食われても許せるとか、全然キュンとこないんだけど」
「うるせえ! 俺なりに一生懸命考えたんだよ! 文句あんならお前がもっとマシなこと言ってみろ!」
俺が顔を真っ赤にして叫ぶと、結愛はマフラーを少し下げて、はっきりと俺に言った。
「奇遇だね。私も、お前のポテト一生勝手に食べたいって思ってた。お前の隣で、ゲームのコントローラー握って、バカみたいに笑ってるのが一番好き」
結愛は一歩前に出て、俺の胸ぐらを軽く掴んだ。
「だから、責任取れよ朔。私を『ただの親友』から『彼女』に昇格させてくれるんでしょ?」
その真っ直ぐな瞳に、俺はもう何も言い返すことができなかった。
「……ああ。覚悟しとけよ、俺の彼女」
俺が結愛の頭にポンと手を乗せると、結愛は「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「でも、ゲームの手は抜かないからな」
「当たり前だ。俺がボコボコにしてやるよ」
「やれるもんならやってみろっての」
気がつけば、俺たちの間のあのぎこちない空気は完全に消え去っていた。
親友から恋人へ。関係の名前は変わっても、俺たちの根本にあるものは何も変わらない。
俺たちはこれからも、こうして軽口を叩き合いながら、隣に並んで歩いていくのだ。

年が明け、三学期が始まった。
「よお、彼女」
「おす、彼氏」
朝の教室。俺と結愛は、いつものように並んで席に着きながら、そんな軽い挨拶を交わした。
俺たちが付き合い始めたことは、すぐにクラス中に知れ渡った。というか、隠すつもりもなかった。
だが、周囲の反応は俺たちの予想とは少し違っていた。
「いや、お前ら……付き合い始めたって言うから、もっとイチャイチャするのかと思ったら、全然変わってねえじゃん」
前の席の健太が、呆れたように俺たちを見て言った。
「は? イチャイチャってなんだよ。俺たちは硬派なカップルなんだよ」
「そうそう。昨日もゲーセンで三時間ぶっ続けで格ゲー対戦して、私がボコボコにしてやったしね」
結愛が自慢げに胸を張る。
「いや、お前昨日のはセコいだろ! あのハメ技は禁止ってルールだったじゃねえか!」
「勝負の世界に禁止なんてないね! 負け犬の遠吠え乙!」
「んだとこのヤロー!」
ギャーギャーと言い争う俺たちを見て、健太は深くため息をついた。
「……お前ら、名前が『親友』から『彼氏彼女』に変わっただけで、中身完全にアップデートされてねえな。ほんと、お似合いの夫婦だよ」
「「夫婦じゃねえよ!」」
見事なユニゾンでツッコミを入れる俺たち。
周りからは呆れられているかもしれないが、俺たちにとってはこれが一番心地よい形なのだ。
放課後。俺たちはいつものファミレスに寄り、いつものようにポテトを頼んだ。
「……あむっ。うん、今日のポテトも美味い」
「おい結愛、また俺のポテト食ったな!」
「彼氏のポテトは彼女のポテト。これも資本主義の基本ルールだよ」
「お前の頭の中のマルクスはどうなってんだよ!」
いつもの不毛な議論。いつもの笑顔。
でも、一つだけ変わったことがあるとすれば——。
「……おい朔」
「ん?」
テーブルの下で、結愛の足が俺の足にツンツンと触れてきた。そして、結愛の左手がそっと俺の右手に重なり、指を絡めてくる。
「……手、冷たいから。あっためろ」
結愛はポテトをかじりながら、顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。
「……お前、ほんと素直じゃねえな」
「うるさい。嫌なら離せ」
「離すわけねえだろ」
俺は結愛の手をしっかりと握り返した。
表向きはギャーギャーと騒ぎながらも、テーブルの下ではしっかりと手を繋いでいる。これが、今の俺たちの新しい「日常」だ。
「これからもよろしくな、俺の最高の彼女で、最強の相棒」
俺が小声でそう囁くと、結愛は照れ隠しのように俺の足を軽く蹴ってきた。
「おうよ。覚悟しとけよ、私の最高の彼氏!」
俺たちは、最高に気が合う親友カップルだ。
周りから「もう夫婦だろ」とツッコまれようが、ポテトを巡る争いが絶えなかろうが、この手を離すつもりは一生ない。
俺たちの騒がしくて愛おしい日々は、これからもずっと続いていく。