タイトル:『俺の親友(♀)が距離感バグりすぎてて、どう見ても俺たち付き合ってる件』
「あ」
「あ」
高校に入学して一週間が経った春の昼休み。激戦区と名高い購買部のパンコーナーにて、俺——相葉湊(あいばみなと)の手は、見知らぬ女子生徒の手と完全に重なっていた。
その下にあるのは、神々しい光を放つ本日最後の『特製焼きそばパン』である。
「悪いな、そこの女子。これは俺が三時間目からロックオンしていた獲物だ。手を引いてくれないか」
「はっ、笑わせるね! 私がこの焼きそばパンの匂いを嗅ぎつけたのは二時間目の数学の最中だよ! つまり私の先取特権が認められるべきだね!」
金色のピンで前髪を留めた、やたらと目の細い……いや、目がぱっちりとしたショートヘアの女子が、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。可愛らしい顔立ちに反して、その態度は歴戦の傭兵のようだった。
「二時間目から匂いが届くわけねえだろ! お前の鼻は警察犬か!」
「名犬ユイちゃんと呼んでくれて構わないよ! さあ、大人しくその手をどけたまえ!」
「断る! なら……これで決着をつけるしかないようだな」
「望むところだ……!」
俺たちはパンから手を離し、バッと一定の距離を取った。周囲の生徒たちが「なんだなんだ」と道を開ける。
「「最初はグー! じゃんけん、ぽん!!」」
俺はチョキ、こいつはチョキ。
「「あいこで、しょ!!」」
俺はグー、こいつもグー。
そこから、パー、チョキ、グー、グー、パー……と、信じられないことに十回連続であいこが続いた。
「はぁ、はぁ……お前、さては俺の心を読んでいるな? このエスパー野郎!」
「そっちこそ! 私の脳内サーバーにハッキングするなんて卑怯だぞ!」
「誰が凄腕ハッカーだ! ……もういい、わかった。俺の負けだ。半分こで手を打とう」
「……ふっ、奇遇だね。私も全く同じ提案をしようと思っていたところさ」
俺たちは見合い、なぜか同時に吹き出してしまった。
「お前、最高にノリがいいな。俺は相葉湊だ」
「私は星宮結衣(ほしみやゆい)! よろしくな、相棒!」
かくして、俺と結衣の「最高の親友」としての歴史は、半分の焼きそばパンと共に幕を開けたのだった。
「おい結衣、今日の弁当のおかず、唐揚げとハンバーグをトレードしようぜ」
「ふははは! 甘いな湊! 私の弁当箱の守備力を見くびるなよ! ……ああっ! 私のタコさんウインナーが!」
「隙あり。等価交換の法則により、お前のウインナーは俺の胃袋へ転送された」
「おのれ錬金術師め……! ならば私はお前の卵焼きをいただく!」
教室のど真ん中、机をくっつけて昼食をとる俺たちの日常。入学から数ヶ月が経ち、俺と結衣のコンビネーションはもはや息を吸うように自然なものとなっていた。
「ちょっと相葉くん、星宮さん。あんたたち相変わらず夫婦漫才やってるわねー。ラブラブすぎてこっちが恥ずかしいわ」
クラス委員長の女子が、ニヤニヤしながら俺たちを見てくる。
「「は?」」
俺と結衣の声が、一寸の狂いもなくハモった。
「いやいや、委員長。目が腐ってんのか? 俺たちは魂で繋がった最高の『親友』なんだよ。性別とかいう些末な問題を持ち込むな」
「そうそう! 私たち、前世は同じアメーバだったからね! 分裂して今の姿になっただけなんだよ!」
「どういう設定だよそれ。まあいいけど……絶対付き合ってるでしょ、あんたたち」
「「だから親友だっての!」」
再び見事にハモる俺たちを見て、クラス中からクスクスと笑い声が漏れる。
放課後になれば、俺たちは当然のように連れ立ってゲーセンへと向かう。
「っしゃあ! 格ゲー百番勝負、今日は私の勝ち越しだね!」
「くそっ、お前あのハメ技ずるいだろ! 男のプライドってものがないのか!」
「私は女だよ! でも友情に性別は関係ない! さあ、敗者はジュースをおごるという神聖な契約を果たすのだ!」
「へいへい。……ほら、お前の好きなメロンソーダ」
「わかってるぅー! さすが私の親友!」
満面の笑みでメロンソーダを受け取る結衣。その無邪気な笑顔を見ると、負けた悔しさもどこかへ飛んでいってしまう。俺たちは肩を並べて夕暮れの道を歩く。こういう気を使わない関係が、俺は最高に心地よかった。そう、あくまで「男同士の友情」みたいなノリで。

「うおおおお! 漢(おとこ)は黙って突撃あるのみ! 死して屍拾うものなし!」
「バカ、結衣待て! お前そこはヒーラーの立ち回りだろ! 突っ込んだら……ほら死んだじゃねーか!」
「あちゃー。すまん相棒、後は頼んだ!」
夏休みの中盤。親が旅行で不在の俺の家に、結衣が当然の権利のような顔をして入り浸っていた。「ゲーム合宿」と称した徹夜の協力プレイスタイルである。
「お前が死んだら火力足りねえんだよ……くそっ、ゲームオーバーか」
コントローラーを投げ出し、ため息をつく。時計を見ると、時刻は深夜三時を回っていた。
「ごめんごめーん。次は慎重に……ふぁぁ」
結衣は大きなあくびをすると、そのまま俺のベッドにゴロンと横になった。
「おい、人のベッドで寝るな。汗かいてんだろ」
「いいじゃん、親友の匂いがして落ち着くんだよ……むにゃ」
「……おい?」
返事がない。見ると、結衣は完全に寝落ちしていた。無防備に放り出された白い足、シャツの隙間から覗く鎖骨。普段は男友達としか思っていないはずなのに、静かな部屋の中で二人きり、しかもベッドで寝ている彼女の姿を見ると、なぜか急に心臓がドクンと大きく跳ねた。
「……ほんっと、無防備すぎだろ、お前は」
誰に言うでもなく呟きながら、俺は結衣の体に薄いタオルケットをかけてやる。寝顔は驚くほど静かで、女の子らしかった。
「……前世がアメーバのくせに、いっちょ前に可愛い顔しやがって」
少しだけ顔が熱くなるのを感じながら、俺は床にクッションを敷いて横になった。いつもなら隣で一緒に寝転がって漫画でも読むところだが、今日ばかりはそんな気になれなかった。親友に対してこんなドキドキしてしまうなんて、俺の脳も夏の暑さでどうかしてしまったらしい。
二学期が始まってすぐのある日の放課後。俺は校舎の裏手で、信じられない光景を目撃してしまった。
「星宮さん……前からずっと、気になってました。俺と、付き合ってください!」
他クラスの、やたらと爽やかなモブ顔イケメンが、結衣に頭を下げている。いわゆる告白というやつだ。
俺は自販機の陰に隠れながら、その様子を窺っていた。
(……なんだこれ。なんで俺、こんなにイライラしてんだ?)
結衣は親友だ。親友に彼氏ができれば、喜んで祝福してやるのが筋だろう。だが、胸の奥で黒い感情がドロドロと渦巻いている。あいつが他の男の隣で笑う? 俺じゃない誰かと、休日に遊びに行く? あのハメ技で他の男をボコボコにするのか?
——ふざけんな。あいつは俺の相方だ。
気がついたときには、俺の足は勝手に動いていた。
「おい」
「えっ? 相葉くん?」
驚くモブ男を無視して、俺はずかずかと結衣の歩み寄った。
「あいつは俺の相方だ。勝手にうちのパーティーから引き抜こうとすんな」
「え? いや、そういうんじゃ……」
「行くぞ、結衣」
俺は結衣の腕を強引に掴み、その場から引きずり出すように歩き出した。
「ちょ、湊!? 引っ張るなって、痛い痛い!」
校門を抜けるまで無言で歩き、ようやく手を離す。
「……ごめん。痛かったか」
「いや、大丈夫だけど……急にどうしたのさ。私、一応告白されてたんだけど?」
結衣が不思議そうに首を傾げる。
「……今日のゲーセン、俺の奢りでいいから行くぞ」
「マジ!? やったー! 新作のクレーンゲームやりたかったんだよね!」
無邪気に喜ぶ結衣の笑顔を見て、俺は深くため息をついた。自分の取った行動が、明らかに「親友」の枠を逸脱していることに、俺自身が一番戸惑っていた。

秋風が涼しくなり始めた帰り道。
「あー、喉渇いた! 湊、それ一口ちょうだい!」
俺が自販機で買ったばかりのスポーツドリンクを、結衣が横からひょいっと奪い取る。
「あ、おい、それ俺が口つけた……」
「んぐ、んぐ……ぷはーっ! 生き返るー!」
結衣は俺の制止も聞かず、ペットボトルに直接口をつけて飲み干してしまった。
「……お前な」
「ん? どした? ……あっ」
結衣の動きがピタリと止まる。そして、手元のペットボトルの飲み口と、俺の顔を交互に見比べた。
「これ、いわゆる……間接キス、的な?」
「……お前が勝手に奪ったんだろ」
普段なら「おっさんかよ!」とツッコミを入れて終わるはずのくだりだ。しかし、先日の告白乱入事件以来、俺たちの間には妙な意識の壁ができあがっていた。
結衣の顔が、夕日とは違う色でみるみる赤く染まっていく。
「い、いや! 私たち親友だし! 親友同士の回し飲みなんて、武将が戦の前に酒を酌み交わすのと同じだよね! そう、義兄弟の契り的な!」
結衣が必死に早口で言い訳を並べ立てる。
「そ、そうだな! 劉備と関羽みたいなもんだろ! 全く問題ねえよ!」
俺もそれに乗っかるように大声で返す。しかし、言い訳をすればするほど、お互いの顔が熱くなっていくのがわかった。
「……親友、だもんな」
「……うん。最高の、親友」
「親友」という言葉が、今の俺たちにとっては酷く不自然で、なんだか窮屈な枷のように感じられていた。俺たちの関係は、もうとっくに「友情」という箱には収まりきらなくなっている。そのことに、俺も、そしておそらく結衣も、気づき始めていた。

文化祭の最終日、後夜祭。校庭でキャンプファイヤーが燃え上がり、生徒たちがフォークダンスに興じている中、俺と結衣は二人で屋上に抜け出していた。
遠くから微かに聞こえる音楽と、秋の夜風が心地よい。
「……なあ、結衣」
「んー? 何?」
フェンスに寄りかかり、夜空を見上げている結衣に声をかける。
「俺たち、親友だよな」
「……うん。最高の、ね」
結衣の声は、いつもより少しだけ震えているように聞こえた。
「でもさ。最近俺、お前が他の奴と話してるとすげー腹立つし。こうして二人でいると、心臓がうるさくてしょうがねえんだわ」
俺の言葉に、結衣がハッとしてこちらを向く。
「……奇遇だね」
結衣は顔を赤く染め、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「私だって……湊が他の女子と楽しそうにしてたら、なんかモヤモヤするし。湊の匂いがすると、安心するくせにドキドキするんだよ」
俺たちは見つめ合う。言葉にしなくても、お互いの気持ちが同じ方向を向いていることは痛いほどわかった。
「……もう、親友やめるか」
俺が言うと、結衣は少しだけ寂しそうな、でも期待を含んだような瞳で俺を見た。
「……絶交?」
「バカ。そんなわけねえだろ。親友の上位互換にクラスチェンジするんだよ」
俺は一歩結衣に近づき、その小さな手を真っ直ぐに握りしめた。
「好きだ、結衣。俺の彼女になってくれ。俺の隣は、お前じゃなきゃダメなんだ」
結衣の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。彼女はそれを乱暴に拭うと、とびきりの笑顔を咲かせた。
「……うんっ! いいよ、相棒。私の隣も、湊だけの特等席にしてあげる!」
夜空に、後夜祭のフィナーレを飾る花火が打ち上がった。その光に照らされた結衣の顔は、今まで見たどんな瞬間よりも可愛くて、俺は思わず彼女を引き寄せ、強く抱きしめた。
翌日。朝の通学路。
俺と結衣は、指を絡めてしっかりと手を繋いで歩いていた。
「ちょ、お前ら! 手繋いでるぞ!?」
「えっ、嘘、ついに!? あの二人付き合ったの!?」
すれ違うクラスメイトたちが、目玉を飛び出さんばかりにして驚いている。
「いやー、ついに付き合うことになっちゃってさー。照れるね!」
結衣は空いている方の手で後頭部を掻きながら、えへへと笑う。
「お前ら、絶対別れないだろ。なんかもう熟年夫婦の貫禄あるし」
友人の一人が呆れたように言うと、俺と結衣は顔を見合わせて笑った。
「当たり前だろ。俺たち、前世からのアメーバ仲間だからな!」
「そうそう! 細胞レベルで惹かれ合ってるからね!」
「なんだよそれ、相変わらずバカじゃねーの!」
周囲がドッと沸く。
恋人という関係になっても、俺たちの会話のテンポも、ボケとツッコミの応酬も、全く変わらない。昼休みには弁当のおかずを奪い合い、放課後にはゲーセンで本気のバトルを繰り広げる。
ただ一つ変わったことといえば。
「ねえ湊、今日の帰り、クレープ食べに行こ! 彼女の特権でおごりね!」
「はあ!? なんで彼女になった途端にジャイアン化すんだよ! ……まあ、いいけど」
「やった! 大好き、湊!」
そう言って、繋いだ手にぎゅっと力を込めてくる結衣。その温もりと、時折見せてくれる甘い笑顔だけが、俺たちの関係が「親友」から「最高の恋人」へとアップデートされた確かな証だった。
これからも俺たちは、こうやって笑い合いながら、息をするように隣を歩いていくのだろう。