タイトル:『俺たち、絶対に付き合ってないからな!~最高の相棒(ヒロイン)と送る、イチャイチャ度1000%の勘違い青春ラブコメ~』
「いっけねー、遅刻遅刻ぅ!」
なんていう、化石のようなセリフを心の中で叫びながら、俺――相沢湊(あいざわみなと)は春の住宅街を猛ダッシュしていた。
今日は記念すべき高校の入学式だというのに、目覚まし時計の野郎が反抗期を迎えたせいで、見事に寝坊をかましたのだ。
口には食パン……ではなく、コンビニで買った焼きそばパンをくわえている。なぜ焼きそばパンかというと、俺が重度の炭水化物ジャンキーだからだ。
「くそっ、この角を曲がれば学校の正門が……!」
俺はアスファルトを蹴り上げ、見通しの悪い交差点へと飛び込んだ。
その瞬間。
「どわぁっ!?」
「ぎゃんっ!?」
出会いがしらに、強烈な衝撃。
俺の体は宙を舞い、そのまま無様に地面へと転がった。
「い、痛ぇ……なんだよ、ダンプカーにでも轢かれたか?」
頭をさすりながら身を起こすと、目の前には一人の女子生徒が尻餅をついていた。
さらさらのセミロングの髪。制服の着こなしはだらしないが、黙っていれば息を呑むほどの美少女だ。だが、その顔は怒りで鬼のように歪んでいた。
そして、彼女の足元には――無惨にひしゃげたパンが落ちていた。
「あああああ! 私の、私のお好み焼きパンがあああ!」
美少女は、地面のパンを抱きしめて絶叫した。
「……は? お好み焼きパン?」
「そうだよ! 購買でラス一だったのを死に物狂いでゲットした私の朝飯が! ペしゃんこじゃないか! どうしてくれるんだよこの焼きそば頭!」
「誰が焼きそば頭だ! つーか、お前のせいで俺の焼きそばパンもアスファルトとキスしてんだよ! 見ろ、この無惨に散らばった紅生姜を!」
「知るか! だいたい朝から焼きそばパンくわえて走るとか、昭和のラブコメかよ! しかも炭水化物に炭水化物を挟むな!」
「お好み焼きパンも同じだろうが! 粉もんばっかりじゃねーか!」
俺の魂のツッコミが炸裂した瞬間、彼女はハッとして顔を上げた。
「……お前、いいツッコミするじゃん」
「……お前こそ、その顔面偏差値で全力のボケをかますの、才能だろ」
俺たちは、地面に散らばった焼きそばとお好み焼きを挟んで、なぜかニヤリと笑い合った。
「私、星宮結衣(ほしみやゆい)。よろしくな、焼きそば」
「相沢湊だ。よろしく、粉もん女」
「誰が粉もんだ! ソースの匂いさせやがって!」
「お互い様だろうが!」
こうして、俺と結衣の最悪で最高の出会いは幕を開けた。
その後、俺たちは入学式をサボりかけるギリギリの時間まで、どちらが購買まで早く着くかダッシュで勝負し、見事に昼飯のパンを賭けたジャンケンで熱いバトルを繰り広げた。
奇跡的なことに、俺と結衣は同じクラス、しかも隣の席だった。
「お、さっきの粉もん女じゃねーか」
「チッ、またお前か焼きそば。腐れ縁ってやつかよ」
教室で顔を合わせた途端、息をするように軽口を叩き合う俺たち。
そんな俺たちを見て、周囲のクラスメイトたちはヒソヒソと囁き合っていた。
『ねえ、あの子たち初日なのにめっちゃ仲良くない?』
『もう付き合ってるのかな? 美男美女カップルじゃん』
俺と結衣は、同時に振り返り、全力で叫んだ。
「「いやいや、こいつとはただのダチだから!!」」
「私がこんなソース臭い男と付き合うわけないだろ!」
「俺だってこんな中身が小学生男子みたいな女、願い下げだっつーの! 俺たちは戦友(ズッ友)ってやつだ!」
「そうそう! 一緒にゲーセンで格ゲーのランクを上げる大事な相棒なだけ!」
周囲はポカンとしていたが、俺たちにとってはこれが真実だった。
恋愛感情? そんな甘っちょろいものは1ミリもない。
俺と結衣は、男同士の最高の友情のような、絶対的な信頼関係で結ばれた『親友』なのだから。
……え? 男女の友情は成立しない?
いやいや、俺たちに限ってそれはない。絶対にない。
俺たちの辞書に「恋愛」という文字はないのだ!
季節は巡り、高2の春。
俺と結衣が出会ってから、早くも1年が経過していた。
クラス替えの掲示板の前で、俺は自分の名前のすぐ下に「星宮結衣」の文字を見つけ、盛大なため息をついた。
「マジかよ……また同じクラスかよ、粉もん女」
「誰が粉もんだ! こっちのセリフだわ、この万年ツッコミマシーンが!」
背後からドロップキック気味に飛びかかってきた結衣を、俺は慣れた手つきでひらりと躱す。
「危ねぇな! 朝っぱらから元気すぎるだろ。つーかお前、なんだそのTシャツ」
結衣のブレザーの下には、なぜか筆文字でデカデカと『働いたら負け』と書かれたTシャツが自己主張していた。
「ふっ、いいだろう。昨日の夜、ネット通販でポチった勝負服だ」
「どこで勝負する気だよ! しかも制服の下に着るな、ダサい通り越して痛いぞ!」
「痛いとはなんだ! これは私のアイデンティティだ! ……あ、そういえば湊、今日の数学の課題やった?」
「やったけど。お前、まさか……」
結衣は完璧なドヤ顔で、親指をビシッと立てた。
「写・さ・せ・て・く・れ!」
「堂々と言うな! お前、昨日何してたんだよ!」
「深夜のゲームに決まってんだろ! FPSのランク戦が私を呼んでいたんだ!」
「お前な……一応美少女なんだから、少しは清楚という言葉を辞書で引けよ」
「はっ、私の美貌に惚れたか相沢湊!」
「1ミリも! むしろ顔面偏差値の無駄遣いすぎて泣けてくるわ!」
「ひどいっ! 私のガラスのハートが砕け散った!」
「強化ガラスの間違いだろ!」
教室に入るなり、いつものように息の合った漫才を繰り広げる俺たち。
席に着くと、前の席の委員長タイプの女子、佐々木が呆れたようにため息をついた。
「相沢くん、星宮さん。朝から夫婦漫才はよそでやってくれない? 暑苦しいんだけど」
「だから違うって! こいつはただの悪友!」
「そうそう! 夫婦とか勘弁してよ佐々木ちゃん。私がこんな甲斐性のない男の嫁になるとか、罰ゲームにもほどがある!」
「甲斐性がないとはなんだ! お前みたいな大食い女を養えるのは、石油王くらいしかいねぇよ!」
「なんだと!? 私の胃袋は宇宙だぞ!」
「自慢にならねぇ!」
昼休みになれば、俺たちのバトルはさらに白熱する。
机をくっつけて弁当を広げるのが、いつの間にか俺たちの日常になっていた。
「おっ、今日の湊の弁当、唐揚げ入ってんじゃん。よこせ」
結衣の箸が、音速を超えて俺の弁当箱に襲いかかる。
「甘いな!」
カキンッ!
俺の箸が、結衣の箸を空中で弾き飛ばした。
「ちぃっ……防御力が上がっているだと?」
「お前が毎日毎日俺のおかずを狙ってくるから、こっちも迎撃スキルを磨いたんだよ! つーか、お前の弁当、卵焼きばっかりじゃねーか!」
「お母さんが寝坊したんだよ! だから私にタンパク質を寄付しろ!」
「卵もタンパク質だろうが! ほら、このブロッコリーならくれてやる」
「野菜はいらん! 肉をよこせ、肉を!」
ギャーギャーと騒ぎながら、結局俺は唐揚げを一つ結衣の弁当箱に放り込んでやる。
「……へへっ、サンキュ。湊はなんだかんだ優しいよなー。お母さんみたい」
「誰がオカンだ! 次は生姜焼き奪うからな!」
「させん!」
放課後は、二人で駅前のゲーセンに寄り道するのが日課だ。
格闘ゲームの筐体に向かい合い、無言でスティックを弾く。
「っしゃあああ! 私の勝ちだオラァ!」
「くそっ、いまのハメ技だろ! もう一回だ!」
「何度やっても結果は同じだぜ、相棒!」
帰り道、夕日に照らされる川沿いの道を二人で歩く。
結衣は先ほど買った肉まんを頬張りながら、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
夕日に染まる横顔は、長いまつ毛に影が落ちて、ドキッとするほど綺麗だった。
黙っていれば。本当に、黙っていれば。
「……なんだよ、私の顔にソースでもついてるか?」
肉まんをモグモグさせながら、結衣が不思議そうに首を傾げる。
「いや……お前、中身がアレじゃなきゃ、マジでモテるのになと思って」
「はっはー! 私はモテモテだぞ? ネットのフレンドからは『イケメン兄貴』って呼ばれてるからな!」
「それ性別間違えられてるだけだろうが!」
「細かいことは気にするな! ほら、肉まん一口食うか?」
「お、マジで? いただくわ」
俺は結衣が差し出した肉まんにかぶりつく。
「あ、熱っ! 中の肉汁が!」
「あはは! ダッサ! 湊、口の周りベトベトだぞ!」
結衣が笑いながら、俺の口元を自分の袖でゴシゴシと拭いてくる。
「おい、服が汚れるだろ!」
「いいんだよ、どうせ洗うし。ほら、綺麗になった。私ってば面倒見のいい親友だろ?」
「……はいはい、ありがとな」
周囲から見れば、これが間接キスだの、イチャイチャだのに見えるらしい。
だが、俺たちにとっては、ただの「男友達同士のノリ」の延長でしかない。
性別なんて関係ない。俺とこいつは、最高に気が合う親友なのだ。
今のところは、まだ。
夏休み真っ只中の、うだるように暑い日の午後。
俺が自室でパンイチになりながら扇風機の前で「あ゛あ゛あ゛」と宇宙人の真似をしていると、唐突に部屋のドアがバンッ! と蹴り破られる勢いで開いた。
「暑い! 死ぬ! 湊、お前の家のクーラーをよこせ!!」
そこに立っていたのは、汗だくで髪を顔に張り付かせた結衣だった。
ショートパンツにダボダボのTシャツという、非常に無防備な格好である。
「お前な……人の家に上がり込む時はインターホン鳴らせって、何回言えば覚えるんだよ!」
「鳴らしたよ! でも湊のママンが『あら結衣ちゃん、湊なら部屋よー、勝手に入ってー』って言ったんだもん! それよりクーラー! 私の部屋のクーラーがぶっ壊れたんだよ! 地獄だ! ここは天国か!」
結衣は俺のベッドにダイブし、そのままクーラーの冷風を全身に浴びて「ひゃーっ」と変な声を上げた。
「親が旅行中でいないのに、業者が来るのは明日の朝だって言うんだよ……私、このままじゃ熱中症で干物になっちまう」
「お前が干物になったら、出汁も出なさそうだな」
「やかましい! というわけで、今日は一晩お前の部屋に泊めてもらうからな! 親友の命がかかってんだ、断るとは言わせねぇぞ!」
「……はぁ。お前の親も、よく年頃の男の家に娘を泊まらせるの許可したな」
「『湊くんのところなら安心ねぇ』だってさ。私もそう思う。お前なら、私が全裸で寝てても手を出さない自信がある!」
「どんな信頼のされ方だよ! 泣くぞ俺!」
かくして、結衣との突発的お泊まり会が始まった。
夜になり、夕飯をデリバリーのピザで済ませた俺たちは、部屋を真っ暗にしてホラー映画のDVDを再生した。
「お前、ホラー苦手なのになんでこれ借りてきたんだよ」
「夏といえばホラーだろうが! 涼しくなるためには恐怖が必要なんだよ!」
結衣は腕組みをして強がっていたが、映画が始まって10分で俺の背中に隠れ始めた。
画面の中で、血まみれの幽霊が突然「ギャアアアア!」と叫びながら飛び出してくる。
「うわああああああ!! 出たぁぁぁ!! 湊、盾になれ!」
「お前が言い出したんだろうが! 痛い痛い、背中の肉をつねるな!」
結衣は俺の背中にぴたりと張り付き、Tシャツの裾をギュッと握りしめている。
密着する背中から、結衣の体温が伝わってくる。
ふと鼻をかすめる、甘いシャンプーの匂い。
そして、背中に押し付けられる、柔らかい感触。
「……おい結衣、お前、もうちょっと離れろ。暑い」
「無理! 無理無理! 今後ろを振り向いたら呪われる! 湊、お前は私の最強の防壁だ、責任を持って私を守れ!」
「都合のいい時だけ親友を盾にするな!」
文句を言いながらも、俺は結衣を振り払えなかった。
普段はガサツで男勝りな結衣だが、こうして震えているのを見ると、年相応の女の子なんだと嫌でも実感させられる。
「……お前、一応女なんだから、男の部屋で無防備すぎるだろ」
俺がポツリとこぼすと、結衣は映画から目を逸らしたまま、鼻で笑った。
「は? お前相手に? 私たちは最高のダチだろうが。性別とか超越してんだよ、私たちは」
「……そうだけどよ」
「なんだよ、まさかお前、私相手にドキドキしてんのかー?」
結衣がからかうように、俺の耳元で囁く。
その吐息が耳にかかり、俺はビクッと肩を震わせた。
「ばっ、バカ言ってんじゃねーよ! お前みたいな色気ゼロのゴリラにドキドキするわけないだろ!」
「誰がゴリラだ! ウホッて言うぞ!」
「言わなくていいわ!」
映画が終わり、寝る時間になった。
俺のベッドの横の床に布団を敷き、結衣がそこに潜り込む。俺はベッドに横になった。
部屋の明かりを消すと、クーラーの静かな駆動音だけが響く。
「……なぁ、湊」
暗闇の中、結衣の声が静かに響いた。
「ん?」
「お前といると、ホント飽きないわ。バカなことばっかりやってるけど、それが一番楽しい」
「……なんだよ、急に気持ち悪いな」
「うるせー、素直に褒めてやってんだから受け取っとけ。お前は私の最高の相棒だよ」
結衣の言葉に、俺の胸の奥が少しだけチクッとした。
最高の相棒。最高の親友。
それは、俺たちがずっと共有してきた絶対的な関係だ。
「……おう。俺にとっても、お前は最高のダチだよ」
「へへっ、だろ? ……おやすみ、湊」
「おやすみ、結衣」
結衣の寝息が聞こえ始める。
俺は天井を見つめたまま、なかなか寝付けなかった。
結衣のシャンプーの匂いが、まだ部屋に残っている気がした。
「こいつ、ホントにただの親友、だよな……?」
暗闇の中で呟いた言葉は、誰にも届くことなく、夏の夜の空気に溶けていった。
俺はこの時、自分の中に芽生え始めた『何か』から、必死に目を逸らそうとしていた。
秋の気配が深まり、高校は文化祭の準備期間に突入していた。
放課後の教室は、段ボールや絵の具、工具が散乱し、お祭り騒ぎの熱気に包まれている。
俺たち2年B組の出し物は「お化け屋敷カフェ」という、カオス極まりないものに決まっていた。
「おい湊! そこのガムテープ取ってくれ!」
「はいはい。お前、顔に赤い絵の具ついてるぞ。ホントにお化けみたいだな」
「うるさい! これは血糊のテストだ! 私のリアルなゾンビメイクに震え上がるがいい!」
結衣は段ボールでお墓の小道具を作りながら、ケラケラと笑っていた。
相変わらずのバカ騒ぎ。いつも通りの、平和な日常だ。
だが、その平穏は、突然現れた闖入者によって破られた。
「星宮さーん、ちょっといいかな?」
教室の入り口から声をかけてきたのは、3年生の先輩だった。
サッカー部のエースで、学校中の女子からキャーキャー言われている、いわゆる「爽やかイケメン」というやつだ。
「あ、藤原先輩! お疲れ様です! どうしたんですか?」
結衣が立ち上がり、パタパタと入り口へ走っていく。
俺はガムテープを手にしたまま、その様子を遠巻きに眺めていた。
「実はさ、文化祭の『ベストカップル・コンテスト』のことなんだけど。俺、星宮さんと一緒に出たいなって思ってさ」
藤原先輩の言葉に、教室の空気がピシッと凍りついた。
周囲の女子たちが「えっ、藤原先輩が星宮さんを!?」とざわめき始める。
当の結衣はというと、照れるわけでもなく、ヘラヘラと笑っていた。
「えー、私とですか? いやいや、私なんかと出たら先輩のファンクラブに暗殺されちゃいますよー」
「そんなことないよ。星宮さん、黙ってればすごく可愛いし、ノリもいいから絶対優勝できると思うんだ。どうかな?」
先輩は爽やかな笑顔で、結衣の頭をポンと撫でた。
その瞬間。
俺の胸の奥で、ドス黒い何かがボワッと燃え上がった。
「……っ!」
ガムテープを握る手に、ギリッと力が入る。
なんだ、この感情は。
イライラする。無性に腹が立つ。
結衣が他の男に頭を撫でられている。他の男と親しげに話している。
たったそれだけのことが、どうしようもなく気に入らない。
「えー、どうしよっかなー。面白そうですけど、私、お化け屋敷の受付もやらなきゃいけないし……」
結衣が迷っているのを見て、俺の体は勝手に動いていた。
「わりぃ先輩。こいつ、俺と買い出し行く約束してて。時間ないんすよ」
気がつけば、俺は結衣と藤原先輩の間に割り込むように立っていた。
「え? あ、湊! そうそう、ちょっと用事があってさー!」
結衣は空気を読んだのか、俺の言葉に合わせて話を合わせてくれた。
藤原先輩は少し驚いたような顔をしたが、すぐに爽やかな笑顔に戻った。
「そっか、相沢くんと約束してたんだね。ごめんごめん、引き止めちゃって。星宮さん、コンテストの件、また後で返事聞かせてよ」
「あ、はい! すみません!」
先輩が教室を去っていくのを見届けてから、俺は結衣の腕を掴んで廊下へと引っ張り出した。
「ちょっ、痛いって湊! なに引っ張ってんだよ!」
廊下の隅まで来て、俺は結衣の腕をパッと離した。
「……お前、あんなのにホイホイついていくなよ」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、棘があった。
結衣は目を丸くして、俺の顔を覗き込んできた。
「なんだよ、怒ってんのか? 別について行くなんて言ってないだろ。適当に断ろうと思ってたのに」
「断るつもりだったなら、あんなヘラヘラ笑って頭撫でられてんじゃねーよ!」
「はぁ!? 別にいいだろ、先輩なんだし! なんだよお前、もしかして……妬いてんのかー?」
結衣はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて、俺の脇腹をつついてきた。
「……は? 違うし!」
俺は慌てて結衣の手を払いのけた。
「俺は! お前が騙されそうだから、親友として心配してやってんだよ! ああいう爽やかイケメンは、裏で何考えてるかわかんねぇんだからな!」
「なんだよそれ、過保護なオカンかよ! 大丈夫だっつーの、私に隙なんてないから!」
「お前は隙だらけなんだよ! 少しは警戒心持て、このバカ!」
「バカって言った方がバカなんだよーだ! バーカ!」
いつものように言い合いになり、結衣は「買い出し行くぞ!」とスタスタ歩き出してしまった。
その後ろ姿を見つめながら、俺は自分の胸ぐらをギュッと掴んだ。
心臓が、嫌なリズムでバクバクと鳴っている。
親友としての心配?
嘘だ。俺はあんなイケメン先輩に、結衣をとられるのが嫌だっただけだ。
「俺だけの親友」でいてほしかった。俺の隣で、ずっとくだらないことで笑っていてほしかった。
でも、それって本当に「親友」に対する感情なのか?
俺は、嫉妬というドロドロとした感情に、気づかないふりをするしかなかった。
この関係を壊すのが、何よりも恐ろしかったからだ。
冬の寒さが本格的になり、街中が赤と緑のイルミネーションで彩られる季節。
世間はクリスマスムード一色だが、俺たちにとっては「ただの12月24日」でしかなかった。
「クリスマス? 何それ美味しいの? 俺たちはソシャゲのクリスマス限定イベント周回で忙しいんだよ!」
「その通り! 聖夜にカップルがイチャイチャしている間に、私たちは経験値と限定ドロップアイテムを荒稼ぎするのだ! これぞ勝者の選択!」
ファミレスのボックス席で、俺たちはフライドポテトをつまみながら、スマホの画面を必死にタップしていた。
周囲の席には、楽しそうに談笑するカップルばかり。
制服姿でゲームに没頭している俺たちは、明らかに浮いていた。
「よし、ボス討伐完了! 湊、お前のサポート魔法遅いぞ!」
「うるせぇ、こっちもMP管理で必死なんだよ! ほら、ポテト冷める前に食え」
「おっ、サンキュ」
結衣はポテトを口に放り込みながら、窓の外のイルミネーションに目をやった。
「……でもさ、たまにはああいうのも悪くないかもな」
「ん? ああいうのって?」
「イルミネーション見て、ケーキ食べて、プレゼント交換して……みたいな? 乙女の憧れってやつ?」
結衣が頬杖をつきながら、少しだけ寂しそうに笑った。
その表情が、いつものガサツな結衣とは違って、妙に大人びて見えた。
「お前、乙女だったのか」
「ぶっ飛ばすぞ。一応女子高生やってんだよ、私だって」
「……まぁ、来年は彼氏でも作って、そういうことすればいいんじゃねーの」
俺が何気なくそう言うと、結衣の動きがピタッと止まった。
「……湊は、どうなの?」
「は?」
「湊は、彼女とか……作らないの?」
結衣の目が、スマホの画面から離れて、真っ直ぐに俺を捉えた。
その瞳の奥に、何かを探るような光が見えて、俺はドギマギして視線を逸らした。
「俺は……別に。今はゲームとか、お前とバカやってる方が楽しいし」
「……そっか。ふーん」
結衣は小さく息を吐き、再びスマホに視線を戻した。
その横顔が、なぜかとても遠く感じられた。
ファミレスを出て、駅に向かって歩く帰り道。
冷たい北風が吹きつけ、結衣が「寒っ!」と身を縮こませた。
彼女は手袋を忘れたらしく、両手をこすり合わせて息を吹きかけている。
「お前、マフラーもしてこなかったのかよ。バカか」
「うるさいな、昼間は暖かかったんだよ! まさかこんなに冷え込むとは……」
俺はため息をつき、首に巻いていた自分のマフラーを外した。
そして、結衣の後ろから、その首にグルッとマフラーを巻きつけた。
「……え?」
結衣が驚いて振り返る。
俺のマフラーに顔の半分を埋めた結衣は、目を丸くして俺を見上げていた。
「……サンキュ」
「べ、別に。お前が風邪引いて、明日のゲームのログインボーナス逃したら困るからな。足手まといになんじゃねーぞ」
「なんだよそれ……素直じゃないなぁ、湊は」
結衣はマフラーに顔を埋めたまま、くすっと笑った。
街灯の光に照らされたその頬は、寒さのせいか、それとも別の理由か、ほんのりと赤く染まっていた。
その顔を見た瞬間、俺の心臓が、今までで一番大きな音を立てて跳ねた。
――可愛い。
心の底から、そう思ってしまった。
家に帰り、ベッドに倒れ込んだ俺は、枕に顔を押し付けて悶絶していた。
「あーっ! クソッ、なんだよ俺! なんであいつにドキドキしてんだよ!」
親友だ。戦友だ。最高のダチだ。
ずっとそう言い聞かせてきた。
でも、違う。もう、ごまかしきれない。
俺は、星宮結衣という一人の女の子が……好きなんだ。
いつからだろう。
出会ったあの日、焼きそばパンとお好み焼きパンで言い争った時からか。
一緒にバカみたいに笑い合っているうちに、少しずつ惹かれていったのか。
他の男と話しているのを見て嫉妬したあの時から、確信に変わっていたのか。
「……好きだ」
口に出してみると、その言葉は恐ろしいほどの重みを持って、俺の胸にのしかかってきた。
もし、この気持ちを伝えたら。
「お前、バカじゃないの? 私たちはダチだろ?」と笑い飛ばされるかもしれない。
最悪の場合、今の「最高の親友」という関係すら壊れてしまうかもしれない。
それが怖くて、俺はずっと「親友」という言葉を盾にして、自分の気持ちから逃げていたんだ。
同じ頃、結衣の部屋でも。
結衣は湊から借りたマフラーを抱きしめながら、ベッドの上で足をバタバタさせていた。
「あーもう! 湊のバカ! あんなことされたら、勘違いしちゃうじゃんか……!」
結衣の顔は、マフラーの匂いと湊の体温を思い出して、真っ赤に茹で上がっていた。
「ダチだろ……私たちは、最高のダチなんだから……」
自分に言い聞かせるようにつぶやく結衣の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
二人はお互いに、同じ気持ちを抱えながら、臆病になっていた。
「親友」という強すぎる絆が、皮肉にも二人の恋心を縛り付けていたのだ。
年が明け、お正月。
俺たちは地元の神社へ、初詣に行く約束をしていた。
「おせーな、あいつ。寒りぃ……」
神社の鳥居の前で、吐く息を白くしながら待っていると、人混みの中から聞き慣れた声がした。
「おーい! 湊ー!」
振り返った俺は、言葉を失った。
パタパタと小走りで近づいてきた結衣は、いつもとは違う、鮮やかな赤い着物姿だったのだ。
髪も綺麗にアップにまとめられ、少しだけ化粧もしている。
普段のガサツな「粉もん女」の面影はどこにもなく、そこには息を呑むほど美しい、一人の少女が立っていた。
「……ど、どうよ? 私の艶姿! お母さんに無理やり着せられたんだけど、苦しくて死にそう!」
結衣は少し照れくさそうに、着物の袖を広げて見せた。
俺は心臓が口から飛び出そうになるのを必死に抑え込み、なんとか声を出した。
「……悪くねぇよ」
「なんだよその反応! もっとこう、『結衣、お前綺麗だよ!』とか『惚れ直しちゃうぜ!』とかあるだろ!」
「うるせー! お前みたいな中身ゴリラの着物姿なんて、馬子にも衣装ってやつだ!」
「誰がゴリラだ! この野郎、お年玉没収の刑だ!」
いつものように言い合いながら、境内の列に並ぶ。
しかし、正月三が日の神社は凄まじい人混みだった。
後ろから押され、結衣がバランスを崩してよろける。
「おっと……危なっ」
「おい、大丈夫か?」
俺は咄嗟に、結衣の手をガシッと掴んだ。
「……あ、サンキュ」
結衣は俺の手を見つめ、少し顔を赤くした。
俺も、自分が結衣の小さな手を握っていることに気づき、慌てて離そうとした。
しかし、結衣の手が、俺の手をギュッと握り返してきたのだ。
「……はぐれそうだから。このままで、いいか?」
結衣が下を向いたまま、小さな声で言う。
その声は、震えていた。
「……おう。はぐれたら面倒だからな」
俺たちは手を繋いだまま、無言で歩き続けた。
心臓の音が、神社の太鼓の音よりも大きく響いているような気がした。
参拝を終え、俺たちは人混みを避けて、境内の裏手にある静かな雑木林の道へと抜けた。
冬の澄んだ空気が心地よく、二人の足音だけが落ち葉を踏む音を立てている。
繋いだ手は、まだ離していない。
「……なぁ、結衣」
俺は、足を止めた。
このまま、この関係を続けることはもうできない。
俺は覚悟を決めた。
「ん? どうした?」
結衣が不思議そうに振り返る。
「俺たち、ずっと『最高のダチ』って言ってきたけどさ」
俺の真剣な声のトーンに、結衣も空気を察したのか、少し緊張した表情になった。
「……うん」
「俺、お前のこと……ダチ以上の存在として、好きになっちまったみたいだ」
静かな林の中に、俺の言葉が吸い込まれていく。
結衣の目が、限界まで丸く見開かれた。
「……え?」
「お前と一緒にいるのが一番楽しい。他の男と話してるのを見ると腹が立つ。お前の笑顔を、ずっと俺の隣で見させてほしい。……俺と、付き合ってくれ」
沈黙が落ちた。
結衣は俯き、プルプルと肩を震わせている。
フラれたか。
「親友」という関係まで壊してしまったのか。
俺が絶望しかけたその時。
「……っはは! あはははは!」
結衣が、突然顔を上げて大爆笑し始めた。
「え? おい、なに笑って……」
「遅い! 遅いよ、湊!」
結衣は笑い涙を拭いながら、俺を指差した。
「私の方が、ずっとずっと前からお前のこと好きだったんだよ! この鈍感野郎!」
「……はぁ!?」
「バカ! 私がどれだけお前にアピールしてたと思ってんだ! 部屋に泊まった時も、クリスマスの時も! お前が全然気づかないから、私がどれだけヤキモキしたか!」
結衣は俺の胸をポカポカと叩きながら、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「知るか! お前の態度が男らしすぎるから勘違いしてたんだろうが!」
「乙女心に気づかないお前が悪い! この焼きそば頭!」
「誰が焼きそばだ! お前こそ粉もんのくせに!」
言い合いながら、俺たちはどちらからともなく、お互いのおでこをコツンとぶつけ合った。
「……ホント、バカだな、俺たち」
「ああ、バカだよ。世界で一番バカなカップルの誕生だな」
結衣が、満面の笑みで俺を見上げた。
俺はそのまま、結衣の手を強く握り直した。
「親友」という殻を破り、俺たちはついに、たった一人の「特別」になったのだ。
春が来て、俺たちは高校3年生に進級した。
桜が舞い散る通学路を、俺と結衣は二人で歩いている。
「あー、今日のお昼は購買の唐揚げパンにしようかな。湊、ダッシュで買いに行け」
「パシリにすんな! ていうかお前、また炭水化物に脂質を挟む気か! デブるぞ!」
「やかましい! 成長期だからカロリーゼロなんだよ!」
「どんな理屈だよ!」
相変わらずの、息をするような漫才。
俺たちが恋人同士になったからといって、このノリが急に甘々になるわけがなかった。
教室に入ると、委員長の佐々木がニヤニヤしながら近づいてきた。
「相沢くん、星宮さん。聞いたわよー? ついに付き合い始めたんだって?」
「ゲッ、なんで知って……」
「あんたたち、隠す気ゼロでしょ。お弁当のおかず奪い合うのは相変わらずだけど、最近妙に距離近かったし。周りはみんな『やっとか』って言ってるわよ」
佐々木の言葉に、クラスメイトたちが一斉にウンウンと頷く。
「お前ら、絶対付き合ってるだろって最初から思ってたぜ!」
男子の一人がからかうように言うと、俺と結衣は顔を見合わせた。
「まぁ……恋人にはなったけどな。でも、俺たちの『親友』としてのノリは変わらねぇよ」
俺が言うと、結衣もドヤ顔で腕を組んだ。
「当然! 湊は私の最高の彼氏で、最高のダチだからな! 恋人になったからって、格ゲーで手加減してやるとか思わないことだ!」
「望むところだ! 今日こそお前をボコボコにしてやる!」
俺たちのやり取りに、クラス中が「相変わらずだな」と呆れたような笑い声を上げた。
放課後。
いつものようにゲーセンで対戦し(結果は俺の負けだった)、夕暮れの帰り道を二人で歩く。
結衣は肉まんを頬張りながら、「お前、ガードが甘いんだよ」とダメ出しをしてくる。
「うるせぇ、次は勝つ」
「100年早いね。……ほら、一口食うか?」
結衣が差し出してきた肉まんを、俺はパクッと一口で半分以上食べてやった。
「あーっ! お前、食いすぎだろ! 私の肉まんが!」
「半分くれたんだから文句言うな!」
ギャーギャーと騒ぎながら、俺たちは川沿いの道を歩く。
ふと、結衣の歩みが少し遅くなった。
「……湊」
「ん?」
結衣は肉まんの包み紙をゴミ箱に捨てると、少しモジモジしながら、俺の右手の小指をキュッと握ってきた。
「……なんだよ」
「いや……その。恋人、なんだからさ。手くらい、繋いでもいいだろ」
結衣はそっぽを向きながら、耳まで真っ赤にしている。
さっきまでの威勢の良さはどこへやら、完全に「乙女」の顔だった。
「……お前、ホントそういうとこズルいよな」
「は? なにが」
「なんでもねーよ」
俺はため息をつきながら、結衣の小さな手を、自分の大きな手でしっかりと包み込んだ。
「……あったかいな」
結衣が嬉しそうに微笑む。
「お前の手が冷たすぎるんだよ。ほら、転ばないようにちゃんと握っとけよ、相棒」
「言われなくても、絶対離さないからな。……大好きだよ、湊」
「……俺もだ、結衣」
夕日に照らされた二人の影が、長く伸びて重なり合う。
俺たちは、これからもずっと言い合いをして、弁当のおかずを奪い合い、ゲームで熱くなるだろう。
最高に気が合う親友(ダチ)として。
そして、世界で一番イチャイチャしている、最高の恋人として。
俺たちの勘違いから始まった青春ラブコメは、どうやら最高のハッピーエンドを迎えたらしい。
――俺たち、絶対に付き合ってないからな!
いや、今はもう、胸を張って言える。
「俺たちは、最高に気が合う『親友』カップルだ!!」
(※全7章 完結)