タイトル:『俺の親友(♀)が距離感バグりすぎてて、どう見ても彼女な件』
「ああっ! それ俺が先に見つけてた幻の激辛焼きそばパン!」
「はぁ!? 私が先に手を伸ばしてたし! ていうか、あんた誰よ!」
高校に入学してまだ一週間。春のうららかな陽気とは裏腹に、昼休みの購買部はまさに戦場だった。
俺、相葉悠真(あいば ゆうま)は、腹の虫を鳴らしながら購買のパン争奪戦に身を投じていた。そして、ようやく見つけたラス1の『地獄の激辛焼きそばパン』に手を伸ばした瞬間、横から伸びてきた別の手と激突したのだ。
その手の持ち主は、小柄でショートボブの髪を揺らす女子生徒だった。
大きな瞳を吊り上げて俺を睨みつけている。名前はたしか、同じクラスの星野結衣(ほしの ゆい)。入学初日からやたらと声がでかく、クラスのムードメーカー的な立ち位置を確立しつつあるヤツだ。
「星野だろ。同じクラスの相葉だよ! てか、激辛なんて女子が食うもんじゃねーだろ。大人しくメロンパンでも食ってろって!」
「女子だからって舐めないでよね! 私は三度の飯よりカプサイシンを愛する女、星野結衣よ! この焼きそばパンは私の血肉になる運命なの!」
「どんな運命だよ! 俺だって朝飯抜いてんだよ、譲れ!」
「譲らない! じゃあ、ここは公平にジャンケンで勝負よ!」
購買のおばちゃんが呆れた顔で見守る中、俺たちはバチバチと火花を散らしながら向かい合った。
「最初はグー! ジャンケン、ポン!」
俺はチョキ。星野はパー。
「っしゃあああ! 俺の勝ち!」
「うそっ!? 私の黄金の右手が負けた……だと……?」
膝から崩れ落ちる星野を尻目に、俺は意気揚々と焼きそばパンを買い上げた。
だが、ふと足元を見ると、星野がこの世の終わりのような顔で空腹を訴えている。まるで捨てられた子犬のようだ。いや、子犬というよりは腹を空かせた野生のアライグマか。
「……おい」
「な、によ。勝者の余裕ってやつ? 存分に味わいながら食べなさいよ……私を越えていけ……」
「大げさだな。ほらよ」
俺は焼きそばパンを真っ二つに割り、半分を星野に差し出した。
星野は目を丸くして、俺とパンを交互に見つめた。
「え……? いいの?」
「俺も鬼じゃねーし。半分なら分けてやるよ。ほら、食わないなら俺が全部食うぞ」
「食べる! 食べる食べる食べる!」
星野はひったくるようにパンを受け取ると、購買の脇にあるベンチに座り、豪快にかぶりついた。
「んんんーっ! 辛っ! うまっ! 相葉、あんた意外といいヤツじゃん!」
「だろ? 感謝しろよ」
俺も隣に座り、残りの半分を口に運ぶ。ピリッとした辛さが口いっぱいに広がり、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「あはは! 辛い! 涙出てきた!」
「お前、鼻の頭にソースついてるぞ。ダサっ」
「うっさい! 相葉だって口の周り真っ赤じゃん! ピエロか!」
「なんだとコラ!」
そこからはもう、息をするようにボケとツッコミの応酬だった。
好きなゲーム、よく見る深夜アニメ、しょうもない日常の愚痴。初対面(厳密には違うが)とは思えないほど、俺たちは信じられないくらい会話のテンポが噛み合った。
まるで、ずっと昔から知っているような、ピースがピタリとはまる感覚。
「いやー、マジで相葉とおしゃべりするの超楽しいわ! あんた、ツッコミのキレが最高!」
「お前がボケ倒すからだろ。処理するこっちの身にもなれ」
「よーし決めた! 今日から相葉は私の『最高の相棒』ね!」
「なんだよそれ。少年漫画かよ」
「いいじゃん、青春っぽくて! 私たち、絶対に最高の親友になれるよ!」
星野はニカッと、太陽みたいに眩しい笑顔を向けた。
俺もつられて笑ってしまう。
「……悪くないな。よろしく頼むぜ、相棒」
「おう! 魂のブラザー!」
こうして、俺たちは「男女の枠を超えた最高の親友」としての第一歩を踏み出した。
この時はまだ、俺もこいつも、この関係が後に周囲を巻き込む壮大な勘違いとバグを引き起こすことになるとは、微塵も思っていなかったのである。
「はい、あーん」
「あーん……って、おい! これ俺が頼んだ唐揚げじゃねーか! なんでお前が食わせようとしてんだよ、しかも自分の箸で!」
「えー、いいじゃん減るもんじゃないし。ほら、飛行機が来ますよー、ブーーン」
「幼児扱いすんな! あとそれ間接キスになるからな、アホ!」
「なにを今更。私たちは魂のブラザーなんだから、間接キスくらいノーカンでしょ」
「お前のその謎ルールのせいで、俺が周りからどう見られてるか分かってんのか!」
高校2年の春。放課後のファミレス。
俺と結衣(いつの間にか下の名前で呼び合うようになっていた)は、いつものようにドリンクバーの隣の席を陣取り、不毛な言い争いを繰り広げていた。
結衣は相変わらず天真爛漫というか、距離感が絶望的にバグっている。
平気で俺の飲み物を横取りして飲むし、歩く時はやたらと肩をぶつけてくるし、俺のスマホで勝手に自撮りをしてカメラロールを埋め尽くす。
傍から見れば、完全にバカップルだ。
「おっす、お前ら今日もイチャついてんなー」
「いつ結婚すんの? ご祝儀の準備しといた方がいい?」
同じクラスの友人、佐藤と鈴木がニヤニヤしながら俺たちのテーブルにやってきた。
俺と結衣は顔を見合わせ、同時に声を揃えて言い放った。
「「は? 俺たち(私たち)付き合ってないし! ただの親友だから!」」
見事なユニゾンだった。
佐藤は呆れたようにため息をついた。
「あのなぁ……さっきから見てたけど、唐揚げの『あーん』は親友同士でやらないのよ。しかも男女で」
「いやいや、佐藤くん分かってないなー」
結衣がストローを噛みながら得意げに指を振る。
「悠真はね、私の右腕なの。戦友なの! むしろ性別とか超越した存在だから!」
「お前、俺のことなんだと思ってんの? 人造人間か何か?」
「違うよ、最強の相棒! だから、こういうスキンシップはただのじゃれ合い。犬が尻尾振ってじゃれ合ってるのと同じ!」
「誰が犬だ、誰が。お前はせいぜい落ち着きのないチワワだろ」
「チワワ!? 私はもっとこう、ゴールデンレトリバーみたいな大型犬の包容力がある女でしょ!」
「包容力ゼロだろ! 昨日だって俺のノート写しながらよだれ垂らして寝てたくせに!」
「ちょっ、それはバラさない約束でしょ! 悠真のバカ!」
「バカって言った方がバカなんだよ!」
俺たちの漫才のような掛け合いを見て、佐藤と鈴木は「はいはい、ごちそうさま」と手をひらひらさせて去っていった。
「まったく、あいつらはすぐ男女を恋愛に結びつけたがるんだから。頭の中ピンク色かよ」
結衣は不満そうに口を尖らせ、ドリンクバーで作ってきた謎の液体(メロンソーダとコーラとカルピスを混ぜたもの)をぐびっと飲んだ。
「おま……それ絶対まずいだろ」
「んー? 意外といけるよ? 飲む?」
結衣は自分が口をつけたストローを、悪びれもなく俺の口元に突き出してきた。
「飲まねーよ! 腹壊すわ!」
「えー、冷たい。親友の愛の手作りドリンクなのに」
「親友を毒殺しようとすんな!」
そんなやり取りをしながらも、俺はふと結衣の顔を見つめた。
窓から差し込む夕日が、彼女の少し茶色い髪をキラキラと照らしている。笑うと目が細くなって、左の頬にえくぼができる。
……顔だけは、黙っていればそこそこ可愛い。顔だけは。
「ん? なに悠真。私の顔に何か付いてる? あ、さては私の魅力にメロメロになっちゃった?」
結衣が冗談めかして顔を近づけてくる。シャンプーの甘い香りがふわっと漂った。
「……っ! バ、バカ! 誰がお前なんかに! ただ、今日の顔もアホ面だなって思ってただけだ!」
「ひどっ! 乙女に向かってアホ面とか!」
「お前は乙女じゃなくて戦友だろ!」
「あ、そっか。じゃあしょうがないね!」
あっけらかんと笑う結衣を見て、俺は小さく息を吐いた。
そうだ、俺たちは最高の親友だ。恋愛感情なんて面倒くさいもの、俺たちの間には必要ない。
一緒にいて一番楽しくて、一番気を使わなくていい相手。それが星野結衣だ。
周囲が何を言おうと、俺たちのこの最強の友情は揺るがない。
……そう、この時はまだ、そう信じて疑わなかったのだ。
「ゆーうまー! 遊びに来たぞー!」
ドンドンドン! と家のドアが壊れんばかりに叩かれ、俺は慌てて玄関を開けた。
そこには、パジャマの上に大きめのパーカーを羽織り、抱き枕を小脇に抱えた結衣が立っていた。外はバケツをひっくり返したような土砂降りで、遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。
「お前……こんな夜中に何やってんだよ。しかもその格好」
「親がさー、夫婦水入らずで旅行行っちゃってて。一人で留守番してたんだけど、雷が超怖くて! これはもう相棒に助けを求めるしかないと思って、走ってきた!」
「走ってきたって、お前ん家からここ、徒歩15分だぞ!? ズブ濡れじゃねーか。早く入れ!」
俺は呆れながらも、結衣を家の中に引っ張り込み、洗面所からタオルを投げてやった。
「サンキュー! いやー、持つべきものは頼りになるダチだね!」
「ダチの家に泊まりに来るのに、なんで抱き枕持参なんだよ」
「これは私の安眠の友、イルカのイルティンだよ! 挨拶して!」
「するかバカ。とりあえず風呂入ってこい。風邪ひくぞ」
結衣を風呂に押し込み、俺はリビングでため息をついた。
俺の両親も今日は夜勤で不在だ。つまり、家には俺と結衣の二人きり。
高校生の男女が親のいない家でお泊まり。字面だけ見れば完全に「そういうこと」だが、相手は結衣だ。俺の部屋にはすでにこいつ専用のゲームコントローラーが常備されているし、冷蔵庫にはこいつが好きなプリンが買い置きしてある。
俺たちにとって、お互いの家はもはや第二の自室のようなものだった。
数十分後。風呂上がりの結衣がリビングに現れた。
「ふぃー、生き返った! 悠真ん家のシャンプー、いい匂いするね!」
「……お前、俺のTシャツ勝手に着るなよ」
結衣は、俺が置いておいた大きめのTシャツをダボダボに着ていた。下はショートパンツを履いているようだが、Tシャツの裾が長すぎて「下半身はいてない」ように見える。
「えー、だって私の服濡れちゃったし。親友の服は私の服! 私の服も私の服!」
「ジャイアンかお前は。……まぁいい。ゲームでもするか」
「やる! 今日こそスマブラで悠真をボコボコにしてやる!」
深夜2時。雷の音もいつの間にか止み、部屋にはゲームの電子音と俺たちの叫び声だけが響いていた。
「っしゃああ! 俺の勝ち!」
「あああっ! ずるい! 今の絶対ラグあった! ラグのせいだ!」
「言い訳すんな! お前が突っ込みすぎなんだよ。ほら、罰ゲームのデコピン」
「うぅ……お手柔らかにお願いします……」
結衣は目をギュッとつぶり、おでこを突き出してきた。
濡れた髪から、微かに俺と同じシャンプーの香りがする。無防備に目を閉じるその顔は、普段の騒がしいこいつからは想像もつかないほど……女の子らしかった。
色白の肌。長いまつ毛。少しだけ開いた桜色の唇。
「……」
俺は振り上げた指を、そのまま結衣のおでこに軽く『ポンッ』と当てただけにとどめた。
「……あれ? 痛くない」
結衣が不思議そうに目を開ける。
「今日は俺の温情だ。感謝しろ」
「なによそれー! 気持ち悪い! 悠真が優しいと明日は槍が降るよ!」
「うるせぇ! もう寝るぞ! 俺はベッドで寝るから、お前は床の布団な!」
「えー! レディーを床に寝かせる気!? 半分こしよーよ、ベッド!」
「するか! お前寝相悪いから蹴り落とされるわ!」
結局、俺が床の布団で寝て、結衣がベッドを占領することになった。
部屋の明かりを消し、静寂が訪れる。
「……ねぇ、悠真」
暗闇の中、ベッドの上から結衣の小さな声が降ってきた。
「なんだよ」
「今日、泊めてくれてありがとね。雷、本当に怖かったから……悠真がいてくれて、安心した」
いつもふざけてばかりのこいつが、珍しく素直な声を出している。
「……ダチが困ってんだから、当然だろ」
「うん。……悠真は、最高の親友だよ。おやすみ」
「……おやすみ」
寝息が聞こえ始めた結衣の顔を、暗闇の中でそっと見上げる。
「……親友、か」
心臓が、なぜかいつもより少しだけ早く脈打っている気がした。
いやいや、気のせいだ。こいつは男友達みたいなもんだし。俺がこいつにドキドキするわけがない。
俺は自分にそう言い聞かせ、無理やり目を閉じた。
季節は夏に向かっていた。
ある日の昼休み。俺は購買でパンを買い、いつものように屋上へ向かっていた。当然、隣には結衣がいるはずだったのだが、今日に限って結衣は「ちょっと野暮用!」と言ってどこかへ消えてしまった。
「野暮用ってなんだよ……」
屋上のベンチに一人で座り、焼きそばパンをかじる。いつもは隣で「一口ちょうだい!」と騒ぐやつがいないと、なんだか味が薄く感じる。
すると、屋上のドアの向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「だから、ごめんなさい! 私、そういうの全然考えてないから!」
結衣の声だ。
俺は思わず立ち上がり、ドアの隙間からそっと外を覗き込んだ。
そこには、結衣と、他クラスの男子生徒――たしかサッカー部のイケメン、高橋が向かい合って立っていた。
「星野さん、俺、ずっと前から星野さんのこと……好きでした。俺と付き合ってください!」
高橋が頭を下げる。
……は? 告白? 結衣に?
その瞬間、俺の胸の奥で、ドス黒いモヤモヤとした感情が爆発した。
おいおいおい、ちょっと待て。なんで高橋が結衣に告白してんだ?
たしかに結衣は明るくて男女問わず人気があるし、顔だって(黙っていれば)可愛い。でも、あいつは俺の……俺の相棒だぞ!
俺といる時の、あの口の周りにソースをつけながら笑うアホ面を知らないくせに! 俺のTシャツを着てよだれを垂らして寝る姿を知らないくせに!
ぽっと出のモブ男が、俺の親友に何手ぇ出してんだ!
俺は今にもドアを蹴り開けて乱入しそうになったが、ギリギリのところで理性を保った。いや、俺が出る幕じゃない。結衣がどう答えるかだ。
結衣は困ったように眉を下げ、頭を掻いた。
「えっと……高橋くん、ありがとう。でも、ごめんなさい。私、今は彼氏とかいらないっていうか……」
「好きな人でもいるの?」
高橋が食い下がる。
結衣は一瞬言葉に詰まり、それから、ニカッといつもの太陽みたいな笑顔を浮かべた。
「ううん! 好きな人はいないけど、私には『最強の相棒』がいるから! そいつと一緒にいるだけで毎日が100倍楽しいし、彼氏なんて作ってる暇ないの! だから、ごめんね!」
結衣は深く頭を下げると、そのまま逃げるように階段を駆け下りていった。
残された高橋は「相棒……?」とポカンとしていたが、俺はドアの陰で、思わずガッツポーズをしてしまった。
「っしゃあ! さすが俺の相棒!」
胸のモヤモヤが嘘のように晴れ渡り、妙な優越感に包まれる。
結衣にとって、俺の存在は彼氏というポジションすら凌駕しているのだ。これぞ最強の友情。俺たちの絆は誰にも引き裂けない。
だが、教室に戻り、いつものように結衣とくだらない会話をしている最中、ふと俺の心に小さな棘が刺さった。
『好きな人はいないけど』
結衣が言ったその言葉が、なぜか頭から離れない。
「ねぇ悠真、聞いてる? 今日の放課後、駅前にできた新しいクレープ屋行こうよ!」
「あ? クレープ? お前、また俺の財布を当てにしてるだろ」
「親友の財布は私の財布!」
「お前のジャイアニズムはどうなってんだよ……」
いつも通りのボケとツッコミ。いつも通りの距離感。
結衣は俺を「相棒」として全幅の信頼を置いている。彼氏なんかいらないと言うほどに。
それは嬉しいことのはずなのに。
――じゃあ、俺が「男」として見られることは、一生ないってことか?
「……っ」
自分の中に芽生えたその疑問に、俺は激しく動揺した。
なんだその考えは。俺は結衣の親友だろ。男として見られたいなんて、そんなこと……。
「悠真? どうしたの、顔赤いよ。熱でもある?」
結衣が心配そうに顔を覗き込み、俺のおでこに自分の手を当ててきた。
冷たい手が触れた瞬間、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
「なっ……! さ、触んな! 暑苦しい!」
「えー、親友のスキンシップじゃん! 照れてるのー?」
「照れてねーよ! バカ結衣!」
俺は顔を逸らしながら、自分の心臓の音を必死に隠した。
どうやら俺は、とんでもないバグを抱え込んでしまったらしい。
「親友」という言葉の盾に隠れて見ないふりをしていた感情が、少しずつ、でも確実に、俺の中で輪郭を持ち始めていた。
夏休み。地元の神社で行われる夏祭りに、俺と結衣は二人で行くことになっていた。
「悠真! 遅い!」
神社の鳥居の前で、俺を待っていた結衣の声が響く。
「わりぃ、ちょっと道が混んでて……って、お前」
俺は言葉を失った。
いつもはTシャツに短パン、あるいはジャージという野生児スタイルの結衣が、今日は淡い朝顔の柄が描かれた浴衣を着ていたのだ。髪もアップにまとめていて、うなじが見えている。
……なんだよこれ。反則だろ。
「ふふん! どうよ、私の大和撫子っぷりは! 惚れ直した?」
結衣がくるりとその場で回って見せる。
「……まぁ、悪くないんじゃね。七五三みたいだけど」
「はぁ!? あんた本当にデリカシーないね! せっかく親友のためにオシャレしてやったのに!」
「親友のためにおめかしってなんだよ。意味分かんねーよ」
口では憎まれ口を叩きながらも、俺は結衣から目を逸らすのに必死だった。
ヤバい。直視できない。今日の結衣は、どう見ても「可愛い女の子」だ。
祭りの会場は人でごった返していた。
「あ! 悠真、りんご飴! 買って買って!」
「自分で買えよ! お前、浴衣でも中身は変わんねーな」
「中身までお淑やかになったら、星野結衣のアイデンティティが崩壊するでしょ!」
いつものように言い合いながら屋台を巡るが、俺の心臓はずっとうるさいままだった。
すれ違う男たちが、チラチラと結衣を見ているのが分かる。
「あの子、可愛くね?」「彼氏持ちかな?」「でも隣のやつ、なんか距離感微妙じゃね?」
そんなヒソヒソ声が聞こえてくるたびに、俺は無性にイライラした。
「おい結衣、もっとこっち寄れ。人多くてぶつかるぞ」
俺は結衣の肩を引き寄せ、他の男たちの視線から庇うように歩いた。
「おっ、悠真くんエスコートですか? さすが私の右腕、気が利くねー!」
「右腕言うな。俺はお前の保護者か」
その時、ドンッ! と後ろから来た集団にぶつかられ、結衣が体勢を崩した。
「わっ!」
「結衣!」
俺は咄嗟に手を伸ばし、結衣の腕を掴んで引き寄せた。結衣の体が俺の胸にすっぽりと収まる。
ふわりと、シャンプーと……ほんの少しの甘い香水の匂いがした。
「……っ、ごめん。大丈夫か?」
「う、うん。ありがと、悠真」
見上げられた結衣の顔が、提灯の明かりに照らされて赤く染まっているように見えた。
いつもなら「おいおい惚れんなよー」なんてからかってくるはずなのに、今の結衣はどこかぎこちない。
「……手、はぐれるから」
俺は結衣の腕から手を滑らせ、彼女の小さな手をしっかりと握った。
「え……」
「親友だからな。迷子防止だ」
言い訳がましくそう言うと、結衣は少しだけ目を丸くした後、ふっと柔らかく笑った。
「……そ、そうだね。迷子になっちゃうもんね」
結衣も、俺の手をぎゅっと握り返してきた。
繋いだ手から、結衣の体温が伝わってくる。
俺たちはそのまま、無言で人混みを歩き続けた。ボケもツッコミもない。ただ、手と手だけが繋がっている。
周りから見れば、どこからどう見てもカップルだろう。
そして俺も、もう自分に嘘をつくのは限界だった。
親友? 違う。
俺はこいつに触れたい。他の男に見せたくない。こいつの笑顔を、隣でずっと独り占めしていたい。
俺は、星野結衣のことが好きなんだ。
男として、一人の女として。
夜空に、大きな花火が打ち上がった。
「わぁっ! 悠真、見て! キレイ!」
空を見上げて無邪気に笑う結衣の横顔を見つめながら、俺は心の中で決意を固めた。
この「バグった距離感の親友」という関係を、終わらせる時が来たのだと。
秋の風が吹き抜ける、文化祭の後夜祭。
学校中がキャンプファイヤーの熱気と音楽に包まれる中、俺は結衣を屋上に呼び出していた。
「悠真ー! なにー? 焼きそばの屋台、まだ残ってたの?」
屋上のドアを開けて現れた結衣は、まだ祭りのテンションを引きずっているのか、満面の笑みだった。
だが、俺の真剣な顔を見ると、少しだけ首を傾げた。
「どうしたの? なんか怖い顔してるけど」
俺は深呼吸をして、結衣の正面に立った。
「結衣。お前に、大事な話がある」
「……え、なに? 改まって。私、何か怒られるようなことした? あ! 昨日悠真のプリン勝手に食べたのバレた!?」
「プリンのことは今度説教するとして、今は違う」
「ち、違うんだ。よかった……」
結衣は胸を撫で下ろしたが、俺の視線から逃れられないと悟ったのか、少しだけ居心地が悪そうに視線を泳がせた。
「……あのさ、悠真。私からも、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「私たちって……ずっとこのまま、親友でいられるのかな」
結衣の口から出たその言葉に、俺は少し驚いた。
いつも「最強の相棒!」と自信満々に言っていた彼女の顔に、初めて見るような不安がよぎっていたからだ。
「この前さ、クラスの女子に言われたんだ。『星野さんって相葉くんとずっと一緒にいるけど、将来彼氏できたらどうするの?』って」
結衣は手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。
「私、答えられなかった。悠真はずっと私の隣にいるのが当たり前だと思ってたけど……いつか、悠真にも彼女ができたら、今までみたいに一緒にいられなくなるのかなって。そう思ったら、なんか……すごく嫌だった」
結衣の声が、少しだけ震えている。
「……私も、おかしいよね。親友なのに、悠真が他の女の子と笑ってるの想像したら、胸がチクチクして……。私、悠真の右腕失格かも」
その言葉を聞いて、俺の心の中にあった最後の迷いが吹き飛んだ。
バカだな、こいつは。俺と同じで、自分の感情に名前をつけられずに迷子になっていたんだ。
俺は一歩踏み出し、結衣の肩を両手でガシッと掴んだ。
「結衣」
「な、なに?」
「俺たち、親友はもうやめだ」
「えっ……?」
結衣の目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「嘘……なんで? 私がワガママ言ったから? プリン食べたから!? ごめん、私、もっとちゃんとするから、親友やめるとか言わないでよ……っ!」
ボロボロと泣き出す結衣を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「お前、本当にアホだな。最後まで話を聞け」
俺は結衣の涙を指ですくい取り、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。
「親友をやめて、これからは『彼氏彼女』になるんだよ」
「……え?」
結衣が間の抜けた声を出して、瞬きを繰り返す。
「俺はお前のことが好きだ。右腕とか戦友とか、そんな都合のいい言葉でごまかすのはもう限界だ。俺は、男としてお前の隣にいたい。だから、俺と付き合ってくれ」
静寂が屋上を包む。
下から聞こえる後夜祭の音楽だけが、BGMのように流れていた。
結衣は、俺の顔と、自分の手を交互に見つめ、やがて顔を真っ赤にして叫んだ。
「ば、バカ悠真! 遅いよ!」
「はぁ!?」
「私だって、ずっと前から悠真のこと好きだったのに! でも悠真が『俺たち親友だから』って言うから、私もそれに合わせるしかなかったんじゃない!」
「お前が最初に『最強の相棒』とか言い出したんだろうが!」
「乙女心に気づかない悠真が悪い! この鈍感!」
「お前も同レベルで鈍感だっただろ!」
いつものように言い合いになり、そして、俺たちは同時に吹き出した。
「あははっ! なんだこれ。告白のムードぶち壊しじゃん」
「お前がぶち壊したんだろ」
結衣は笑いながら涙を拭い、俺の胸にドンッと頭をぶつけてきた。
「……よろしくね、彼氏殿。私のこと、一生面倒見てよね」
「言われなくても。覚悟しとけよ、彼女殿」
俺は結衣の背中に腕を回し、その小さな体をきつく抱きしめた。
「最高の親友」という肩書きを捨てた俺たちは、こうして、新しい関係へと踏み出したのだった。
翌朝。
俺と結衣は、いつも通り一緒に登校していた。
ただ一つ違うのは、二人の手がしっかりと繋がれていることだ。
「ねぇ悠真、手汗かいてない? 大丈夫?」
「お前がギュッと握りすぎなんだよ。少し緩めろ」
「えー、やだ。彼氏の手は私の手! 私の手も私の手!」
「ジャイアニズム健在かよ。付き合っても中身は変わんねーな」
「当たり前でしょ! ベースは最強の親友なんだから!」
教室のドアを開け、手を繋いだままの俺たちを見た瞬間、クラス中が静まり返った。
そして数秒後、佐藤と鈴木が爆発したように叫んだ。
「お前ら!! ついに付き合ったのか!?」
「おせーよ! いつまで焦らしてんだよバカヤロー!!」
クラス中から「やっとか!」「結婚式呼べよ!」と拍手とヤジが飛んでくる。
俺は少し照れくさかったが、結衣は堂々と胸を張り、繋いだ手を高く掲げた。
「ふふん! 聞いとけお前ら! 私たちは親友から、最強の恋人にジョブチェンジしたのだ! これからはイチャイチャを見せつけるから覚悟しなさい!」
「お前、自分で言ってて恥ずかしくないのか……」
「悠真もドヤ顔しなよ! ほら!」
「するわけねーだろ!」
「いや、そういうの『付き合ってる』って言うんだよ! 今までと何が違うんだよ!」と佐藤が的確なツッコミを入れる。
たしかに、傍から見れば俺たちの距離感は昨日までと大して変わっていないのかもしれない。
相変わらずボケて、ツッコんで、不毛な言い争いをして。
でも、俺たちの中では、何かが決定的に変わっていた。
昼休み。
購買で買った焼きそばパン(今回は平和に二つ買えた)を屋上で食べながら、結衣が俺の肩に頭を乗せてきた。
「ねぇ、悠真」
「ん?」
「私、悠真が彼氏になってくれて、本当に嬉しい。世界一幸せ」
そのストレートな言葉に、俺は思わずむせてしまった。
「ゲホッ……お前、急にそういうこと言うのやめろ。心臓に悪い」
「あはは! 照れてる照れてる! 可愛いー!」
「うるせぇ!」
俺は赤くなった顔を隠すように、結衣の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「やめー! 髪の毛セットしたのにー!」
文句を言いながらも、結衣は嬉しそうに俺の腕に抱きついてくる。
俺の親友(♀)は、相変わらず距離感がバグっている。
でも、これからは「彼氏」という特権を使って、堂々とこの距離感を楽しんでやろうと思う。
なぜなら俺たちは、最高に気が合う「親友」であり、世界で一番最強の「カップル」なのだから。
【完】