タイトル:『俺たち、最高に気が合う「ただのダチ」だけど、周りからは「早く結婚しろ」って言われてる』
「あ、それ俺が先に見つけたんだけど」
「甘いな。物理的に先にパッケージに触れたのは私の右手人差し指だ。よってこの弁当の所有権は私にある」
高校一年の春。入学してまだ一週間も経っていない昼休みの購買部で、俺――相葉悠真(あいばゆうま)は、見知らぬ女子生徒と一つの弁当を挟んで睨み合っていた。
ターゲットは、購買部で一番人気の『特製メガ盛り唐揚げ弁当』。限定十食のそれを、俺と目の前の女子が同時に掴んだのが事の始まりだった。
相手は、ショートボブの髪を揺らし、挑戦的な笑みを浮かべる女子。後に俺の「最高の親友」となる日高千秋(ひだかちあき)である。
「いやいや、視認したのは俺が先だって。目からビーム的なやつが出てたから実質俺の勝ちだろ」
「なんだその小学生みたいな理論は。目からビームが出るなら今すぐここで撃ってみろ。私がこの唐揚げを盾にして防いでやる」
「唐揚げを盾にするな! 弁当が台無しになるだろ!」
俺の渾身のツッコミに、千秋は「ふっ」と鼻で笑った。
「冗談だ。だが、この唐揚げ弁当への情熱は私の方が上だ。お前にはそこの売れ残っている焼きそばパンで手を打つ権利をやろう」
「なんで俺が妥協する側なんだよ! 唐揚げ弁当への情熱なら俺だって負けてねえ。朝からずっと『今日の昼は唐揚げ、今日の昼は唐揚げ』って呪文みたいに唱えてたんだからな!」
「奇遇だな、私もだ。……仕方ない、ここは原始的かつ最も公平な方法で決着をつけるか」
「じゃんけんか。いいぜ、受けて立つ!」
購買部のおばちゃんが呆れ顔で見守る中、俺たちは向かい合い、右手を構えた。
「「最初はグー、じゃんけん、ぽん!」」
俺はチョキ、千秋もチョキ。
「「あいこで、しょ!」」
俺はパー、千秋もパー。
「「しょ!」」
グーとグー。チョキとチョキ。パーとパー。
……おかしい。そこからなんと、十回連続であいこが続いたのだ。周囲の生徒たちが「あいつら、何かの儀式やってんの?」とざわめき始める。
「はぁ、はぁ……お前、俺の心読んでるだろ」
「バカ言え、お前のその単純な脳内がダダ漏れなだけだ。次こそ唐揚げは私がいただく!」
「いや、もうこれ以上は周りの目もあるし……よし、分かった。俺の負けでいいよ。半分こ、な?」
「……は? 負けを認めたのに半分要求するのか? お前の辞書に『潔さ』という言葉はないのか」
「あるけど、今は唐揚げのページを開いてるんだよ!」
「チッ……まあいい。そこまで言うなら、私の広大な慈悲の心で分けてやろう」
結局、俺たちは唐揚げ弁当を一つ買い、屋上で並んで食べることになった。春の心地よい風が吹く中、俺たちは唐揚げの個数を厳密に割り勘し、無言で頬張った。
「……美味いな」
「……ああ、美味い。メガ盛りにして正解だった」
そこから、唐揚げの美味さをきっかけに、俺たちの会話は弾み始めた。驚いたことに、好きな漫画、ハマっているゲーム、さらには嫌いなピーマンの苦味に対するクレームまで、俺と千秋の価値観は恐ろしいほどに一致していた。
「マジかよ、あのゲームの裏ボス、レベル上げずに初期装備で倒したのか!?」
「当然だ。あのギリギリの攻防こそがゲーマーのロマンだろうが。お前もまさか、安全地帯からチマチマ魔法撃ってたクチじゃないだろうな?」
「ばっ、誰がそんなチキンな戦法とるか! 俺はひたすらパリィで弾き返してやったわ!」
「おおっ! 分かってるじゃないか! お前、見込みがあるぞ!」
弁当を食べ終わる頃には、俺たちはまるで十年来の幼馴染のように打ち解けていた。
「相葉悠真。お前、マジで最高のダチになれそうだな」
「フッ……日高千秋。今日から私たちはソウルメイトだ。背中は預けたぞ」
こうして、俺と千秋の「男同士の最高の友情」ノリの付き合いが始まった。まさかこの先、この関係がとんでもない方向へ転がっていくことになるとは、この時の俺たちは微塵も思っていなかったのである。
高校二年の秋。俺と千秋はすっかり学校公認の「ニコイチ」になっていた。
クラスが同じになったこともあり、朝の登校から休み時間の雑談、昼休みの弁当(今はちゃんと別々のものを食べているが、おかずのトレードは日常茶飯事だ)、そして放課後の寄り道まで、俺たちはほとんどの時間を共に過ごしていた。
「おい千秋、お前また俺のプリン食っただろ!」
放課後の教室で、俺は空になったプリンの容器を掲げて抗議した。
窓際でスマホをいじっていた千秋は、悪びれる様子もなく顔を上げる。
「はっ! 何を言うかと思えば。あれはプリンが私に『食べて』と囁いたんだよ。私の胃袋に収まるのが彼の本望だったのだ」
「プリンが喋るか! お前、ついに幻聴が聞こえるようになったのか。病院行くか!?」
「大丈夫だ。私には相葉悠真という、この世で最も優秀な主治医がついているからな」
「俺は精神科医じゃねえし、お前のバカは治せねえよ!」
俺たちのそんなやり取りを見て、クラスメイトの男子、佐藤が呆れたように声をかけてきた。
「お前ら、相変わらず夫婦漫才やってんなぁ。てか、いつから付き合ってんの?」
「「は?」」
俺と千秋は全く同時に振り返り、完璧なハモりで聞き返した。
「いや、付き合ってないけど。こいつは俺の右腕みたいなもんだから」
「そうそう。悠真は私の便利なパシリ一号だ。恋愛感情なんてミリも存在しない」
「おい、さっきの右腕の設定どこいった! パシリってなんだ、せめて参謀にしろ!」
「参謀? お前のそのプリンで満たされた脳みそでか? 笑わせるな」
「あのな、俺の脳みそはプリンじゃねえよ!」
「ほら、また漫才始まってるし……お前ら、絶対に付き合ってるって周りからは思われてるぞ」と佐藤は肩をすくめて去っていった。
放課後、俺たちはいつものファミレスに陣取っていた。ここでも俺たちの「友情」は全開だ。
「悠真、ドリンクバーで私の喉を潤す最高の一杯を作ってこい。パシリ一号の腕の見せ所だぞ」
「誰がパシリだ。まあいい、お前が泣いて喜ぶ特製ブレンドを作ってきてやる」
俺はドリンクバーへ向かい、メロンソーダをベースに、カルピスを少々、そして隠し味にブラックコーヒーを数滴垂らすという、見た目は鮮やかなグリーンだが味は未知数の液体を錬成した。
「ほらよ、魔女の秘薬だ」
「ほう、見た目は悪くないな。……ゴクッ」
千秋は躊躇なくストローに口をつけ、そして――数秒後、盛大に顔をしかめた。
「ぐふっ……! な、なんだこれは……! 甘さの中に潜む、この泥水のような苦味は……!」
「はっはっは! 毒だ! ブラックコーヒーの呪いだ!」
「バカめ、この程度の毒で私が倒れるとでも思ったか! 私が自ら解毒剤を投与してやる!」
そう言うと、千秋はテーブルにあったガムシロップを二個、グラスにぶち込んだ。
「おい、余計甘くなるだけだろ! 腹壊すぞ!」
「ええい、ままよ! ……ゴクッ。……甘っ! 喉が焼けるように甘い!」
「自業自得だろバカ!」
ゲラゲラと笑い合う俺たち。ふと通路を見ると、ウェイトレスのお姉さんが微笑ましそうな顔でこちらを見ていた。
「カップルのお客様、ご注文はお決まりでしょうか?」
「あ、いえ、私たち戦友です。フライドポテトのメガ盛りを一つ、前線に投下してください」
「かしこまりました、戦友様」
ノリのいい店員さんにウィンクされ、俺は思わず吹き出した。
「お前、店員さん困らせんなよ」
「事実を言ったまでだ。お前という最高の戦友がいれば、この退屈な日常も悪くないからな」
千秋はストローを咥えながら、ニカッと笑った。
その屈託のない笑顔を見ると、なぜか胸の奥が少しだけチクリとするような、不思議な感覚があった。だが、俺はすぐにそれを「笑いすぎたせいだ」と片付けた。俺たちは最高の親友。それ以上でも以下でもないのだから。
週末。俺の親が親戚の結婚式で一泊二日の旅行に出かけ、家が空っぽになった。それを聞きつけた千秋が「じゃあ、今夜は徹夜でゲーム合宿だな!」と息巻いて乗り込んできた。
俺の部屋には、スナック菓子と2リットルのコーラ、そして千秋が持参した大量の新作ゲームが積まれている。
「っしゃあ! これで私の五十連勝だ! 悠真、お前弱すぎないか?」
「うるせえ! 今のはコントローラーのボタンがめり込んでたんだよ! 次は絶対勝つ!」
「負け犬の遠吠えが心地いいな。さあ、かかってこい!」
画面の中でキャラクターたちが激しくぶつかり合う。時刻はすでに深夜二時を回っていた。
ハイテンションでコントローラーを操作していた俺たちだが、さすがに睡魔が襲ってきた。千秋の動きが鈍くなり、あくびの回数が増える。
「……ふぁ〜あ。ダメだ、さすがに目がかすんできた。ちょっと休憩……」
千秋はそう言うと、コントローラーを放り出し、そのまま俺のベッドへダイブした。
「おい千秋! お前なんで俺のベッド占領してんだよ。そこは俺の聖域だぞ!」
「勝者の特権だ。敗者はそこの床で寝袋にでも入ってろ」
「鬼か! 俺の部屋だぞここ!」
「うーん……なら、一緒に寝ればいいだろ。親友なんだし、減るもんじゃないし……むにゃ」
千秋はすでに半分夢の中へ旅立っているようで、俺の抗議は完全にスルーされた。
「一緒に寝るって……お前な……」
いくら親友とはいえ、相手は年頃の女子だ。男の俺が同じベッドに入るのは、さすがに色々とマズいのではないか。
しかし、床で寝るのも嫌だ。俺のベッドはセミダブルサイズだから、端と端なら触れ合わずに済むはずだ。
「……仕方ねえな。背中合わせで寝るぞ」
俺は部屋の明かりを消し、千秋に背を向けるようにしてベッドの端に潜り込んだ。
暗闇の中、千秋の規則正しい寝息が聞こえる。
普段はガサツで男勝りな千秋だが、こうして静かに寝ていると、不思議と「女の子」らしさを感じてしまう。シャンプーの甘い香りが、ほんのりと鼻をくすぐる。
「……なんか、変な感じだな」
俺が暗闇でぼんやりと考えていると、突然背中に「ドンッ!」と強い衝撃が走った。
「ぐふっ!?」
振り返ると、千秋の足が俺の背中にクリーンヒットしていた。寝相が絶望的に悪いのだ。
「おい、蹴るな! 痛えな!」
「むにゃ……唐揚げ……逃げるな……メガ盛り……」
「唐揚げの夢見てんのかよ! 色気ねえな!」
ツッコミを入れつつ、俺は千秋の寝顔を覗き込んだ。
窓から差し込む月明かりに照らされたその顔は、長いまつ毛が影を落とし、普段の生意気な口を叩く唇が少しだけ開いている。柔らかそうな頬は、思わず触れてみたくなるような無防備さだった。
「……こいつ、黙ってれば普通に可愛いんだよな」
自分の口から出た言葉に、俺自身が一番驚いた。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた気がした。
なんだこの感情は。俺と千秋は親友だ。戦友だ。ダチだ。それなのに、なんで今、俺はこいつの寝顔を見てドキドキしているんだ?
「……ふすー……」
無警戒に眠り続ける千秋を見て、俺は小さくため息をついた。
「風邪ひくぞ、バカ」
俺ははだけていた毛布を千秋の肩までしっかりとかけ直し、再び背を向けた。
しかし、その夜は千秋の体温とシャンプーの香りが気になって、俺は朝までほとんど眠ることができなかった。
翌朝、目の下にクマを作った俺を見て、千秋が「お前、ゲームの負けが悔しくて夜通しイメトレでもしてたのか?」と腹を抱えて笑ったことには、本気で殺意を覚えた。
高校三年の春。クラス替えがあり、俺と千秋は奇跡的に三年連続で同じクラスになった。
「これで今年も私のパシリとしてこき使えるな、悠真」
「お前のそのパシリ設定、まだ生きてたのかよ。俺はパシリじゃなくて相棒だっつの」
相変わらずの軽口を叩き合いながら、俺たちの関係は何も変わらない……と思っていた。
ある日の放課後。俺が部活の助っ人を終えて下駄箱へ向かうと、校舎の裏手で二つの人影を見つけた。
一人は千秋。そしてもう一人は、隣のクラスで「爽やかイケメン」として名高いサッカー部のエース、木村だった。
「あれ? 千秋と木村? なんであんなとこに……」
俺は無意識のうちに、物陰に隠れて様子を窺ってしまった。
「日高さん。俺、ずっと前から君のことが気になってたんだ。もしよかったら、俺と付き合ってくれないかな」
木村の口から出たのは、紛れもない告白の言葉だった。
俺の頭の中が真っ白になる。
千秋が、告白されている?
いや、千秋は可愛いし(黙っていれば)、ノリもいいからモテても不思議ではない。頭では分かっているのに、胸の奥底が泥のように重く、黒い感情で満たされていくのが分かった。
「あれ? なんで俺、こんなイライラしてんだ?」
ギリッと奥歯を噛み締める。木村の爽やかな笑顔が、やけに鼻につく。今すぐあそこに割って入って、「俺の親友に手ぇ出してんじゃねえ!」と叫びたい衝動に駆られた。
しかし、千秋の答えは俺の予想を裏切るものだった。
「……ごめん。木村くんの気持ちは嬉しいけど、私には心に決めた相棒がいるから。そいつを置いて、誰かと付き合う気にはなれないんだ」
「相棒……って、もしかして相葉くんのこと?」
「あはは、まあね。あいつ、私がいないとダメなやつだからさ。私が面倒見てやらないと」
「そっか……。相葉くん、羨ましいな。分かった、諦めるよ」
木村は少し寂しそうに微笑むと、去っていった。
千秋が一人になったのを見計らって、俺は努めて平静を装いながら姿を現した。
「よお千秋。今の、見てたぜ。お前、告白されてたな〜! モテモテじゃん!」
わざとらしくからかう俺に、千秋は少しだけ気まずそうに目を逸らした。
「……見てたなら出てこいよ、悪趣味だな」
「いやいや、邪魔しちゃ悪いと思ってさ。で? なんで断ったんだよ。木村、イケメンだし性格もいいじゃん。お前の彼氏にはもったいないくらいだぞ」
俺の言葉に、千秋はピタッと足を止め、ジロリと俺を睨みつけた。
「……お前、本気でそう思ってんのか?」
「え?」
「私が誰かと付き合って、お前と過ごす時間が減っても、お前は平気なのかって聞いてるんだよ」
千秋の声は、いつものふざけた調子ではなく、低く真剣なものだった。
「それは……」
言葉に詰まる。平気なわけがない。千秋が他の男とファミレスでふざけ合ったり、他の男のベッドで無防備に寝たりするのを想像しただけで、腹の底からマグマのような怒りが湧き上がってくる。
「……嫌だ」
俺の口から、ポツリと本音が漏れた。
「お前が俺以外のやつとバカやってんのは、なんか……すげえムカつく。だから、断ってくれてホッとしてる」
俺の言葉を聞いて、千秋は一瞬目を丸くしたが、すぐに「ふっ」と悪戯っぽく笑った。
「なんだよそれ。独占欲強すぎだろ、お前は」
「うるせえ! 相棒が取られるかもしれないんだから、焦るに決まってんだろ!」
「はいはい。安心しろ、私はお前とゲームしてる方が百倍楽しいからな。お前が私を必要とする限り、私はお前の最高の親友でいてやるよ」
千秋はそう言って、俺の背中をバンッと叩いた。
「痛っ! お前、手加減しろよ!」
「愛のムチだ! さあ、今日もファミレスでドリンクバーの新作を錬成するぞ!」
先を歩く千秋の背中を見つめながら、俺の心臓はさっきからずっと警鐘を鳴らし続けていた。
「親友」という言葉が、今の俺にはとても窮屈に感じられたのだ。
俺はもう、千秋のことを「ただのダチ」としては見られなくなっている。その事実を、俺はついに認めざるを得なかった。
夏休み。地元の神社で行われる夏祭りに、俺と千秋は毎年一緒に行っている。
今年も当然のように一緒に行くことになり、神社の鳥居前で待ち合わせをしていた。
「遅いな、あいつ。いつもは俺より早く来て『遅刻だ! 切腹しろ!』とか騒ぐくせに」
スマホで時間を確認していると、背後から「おーい、悠真」と声がした。
振り返った俺は、思わず息を呑んだ。
そこには、普段のTシャツにショートパンツというボーイッシュな姿ではなく、紺地に朝顔の柄があしらわれた浴衣を着た千秋が立っていた。
髪は少しだけ編み込まれてアップにされており、うなじが露わになっている。ほんのりと薄化粧までしていて、いつもの「悪友」の面影はそこにはなく、どこからどう見ても「綺麗な女の子」だった。
「……どうだ? 似合ってるか?」
千秋は少し照れくさそうに、浴衣の袖をつまんで見せた。
俺は心臓が口から飛び出しそうになるのを必死に抑え込み、なんとか言葉を絞り出した。
「……まあ、悪くはないんじゃね?」
「なんだその煮え切らない態度は! 私がわざわざ慣れない浴衣なんて着てきたんだぞ! もっとこう、全米が泣くレベルで褒めちぎれ!」
「ハードル高すぎだろ! えーっと……その、綺麗だよ、ばーか」
俺は顔から火が出そうになりながら、そっぽを向いて言った。
「……っ! ばーかって言うな! せっかくのムードが台無しだろ!」
千秋も顔を真っ赤にして、俺の肩をポカポカと叩いてきた。
祭り囃子が鳴り響く中、俺たちは屋台を巡った。
「よし、射的だ! 悠真、あの特大のクマのぬいぐるみを落とした方が勝ちだ!」
「お前、浴衣着てても中身は全然変わんねえな。いいぜ、俺の百発百中のスナイパー魂を見せてやる」
結果は、二人とも千円ずつ溶かして、取れたのはうまい棒三本だけだった。
「……あのオヤジ、絶対に景品に接着剤つけてるだろ」
「間違いない。私たちの腕が悪いわけじゃない。世界が歪んでいるんだ」
そんな負け惜しみを言いながら、りんご飴をかじる千秋の横顔は、屋台の提灯の灯りに照らされて、ひどく艶っぽく見えた。
神社の奥へ進むにつれて、人の波が激しくなってきた。
「おい、押すなよ! 悠真、ちょっとこれキツいぞ」
千秋が人混みに揉まれ、俺から少しずつ離れていく。
このままでははぐれてしまう。そう思った俺は、無意識のうちに手を伸ばし、千秋の右手をギュッと握りしめた。
「えっ……」
千秋が驚いたようにこちらを見る。
「おい千秋、はぐれるなよ。しっかり掴まっとけ」
俺は照れ隠しで、わざとぶっきらぼうに言った。
千秋は一瞬だけ戸惑ったような顔をしたが、すぐに俺の手を強く握り返してきた。
「……お前が手、引いてくれるから大丈夫だろ。頼りにしてるぞ、相棒」
繋いだ手から、千秋の体温が伝わってくる。手首の脈打つ感覚が、俺の心臓のリズムと同期していくようだった。
周りの喧騒が遠のき、ただ繋いだ手のひらの熱だけが、この世界で唯一の現実のように感じられた。
『俺、こいつのこと「女」として好きなんじゃねえか?』
もはや疑いようのない事実が、俺の胸にすとんと落ちた。
親友だから一緒にいたいんじゃない。千秋という一人の女の子を、誰にも渡したくないんだ。
夜空に大きな花火が打ち上がった。
「うわー、綺麗だな!」
無邪気に花火を見上げる千秋の横顔を見つめながら、俺は決意した。
この「親友」という居心地のいい関係を、壊す時が来たのだ、と。
季節は秋へ移り、高校生活最後の文化祭が近づいていた。
放課後の教室。クラスの出し物であるお化け屋敷の小道具作りを任された俺と千秋は、二人きりで作業をしていた。
窓の外は夕暮れに染まり、教室にはチョークの粉の匂いと、段ボールを切るカッターの音だけが響いている。
「なぁ悠真、この血糊の垂れ具合、どうだ? かなりリアルじゃないか?」
千秋が赤い絵の具を塗った段ボールを自慢げに見せてくる。
「お前、そういう無駄な才能あるよな。リアルすぎて本気で引くレベルだぞ」
「褒め言葉として受け取っておこう。ふふん、これで泣き叫ぶ客の顔を見るのが楽しみだ」
「お前、性格悪すぎだろ……」
いつものようにボケとツッコミを交わしながらも、俺の心臓はさっきから早鐘のように打ち鳴らされていた。
今日、言う。絶対に言う。
夏祭りからずっと、俺はこの想いを伝えるタイミングを計っていた。しかし、いざ二人きりになると、どうしても言葉が喉の奥でつっかえてしまう。
「失敗したら、この関係が壊れるかもしれない」という恐怖が、俺の足を引っ張っていた。
「……なぁ、千秋」
俺はカッターを置き、真剣な声で千秋を呼んだ。
「ん? なんだ、手が止まってるぞ。サボるなよパシリ一号」
「俺たち、最高の親友だよな」
俺の突然の言葉に、千秋は手を止め、不思議そうな顔をした。
「なんだ急に。当たり前だろ。世界が滅亡しても、私とお前は親友だ」
「……そうだよな。でもさ」
俺は立ち上がり、千秋の目の前まで歩み寄った。
夕陽を背にした千秋の瞳が、少しだけ揺れた。
「俺、もうお前の『親友』でいるのは、限界なんだ」
「え……?」
千秋の顔から、いつもの余裕のある笑みが消えた。
「限界って……どういうことだ? 私、何かお前の気に障ること、したか……? プリン勝手に食べたの、まだ怒って――」
「違う!」
俺は千秋の言葉を遮り、彼女の両肩を真っ直ぐに掴んだ。
「お前といると、毎日がめちゃくちゃ楽しい。バカやって、笑い合って、それがずっと続けばいいと思ってた。でも……俺は、お前が他の男と笑ってるのを見ると腹が立つし、お前が誰かのものになるなんて絶対に嫌なんだ」
千秋は目を見開き、息を呑んだ。
「俺……お前のこと、親友以上の存在にしたいって思っちまったんだ。女として、好きだ。日高千秋、俺と付き合ってくれ」
静寂が教室を包み込んだ。
遠くから吹奏楽部の練習の音が微かに聞こえる。
千秋は俯いたまま、小刻みに震えていた。
やっちまったか? 引かれたか?
恐怖で逃げ出しそうになる俺の前で、千秋はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、夕陽のせいではなく、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
「……っ、お、遅いんだよ、バカ悠真……!」
「え?」
千秋は俺の胸をドンッと軽く叩いた。
「私なんか、とっくに親友じゃ物足りなくなってたのに……! お前がいつまでも『俺たちは最高のダチだぜ!』みたいな顔してるから、言い出せなかったんじゃないか!」
「なっ、なんだよそれ! お前だって『悠真はパシリだ』とか言って、恋愛フラグへし折ってたじゃねえか!」
「それは照れ隠しだ! 乙女心を察しろ、この鈍感男!」
「乙女ってガラかよ!」
「言ったな!? 今のは減点対象だぞ!」
涙ぐみながら怒る千秋を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「ははっ、なんだこれ。告白の返事も、俺たちらしいな」
「……笑うな。こっちはずっと、一人でヤキモキしてたんだからな」
千秋は拗ねたように唇を尖らせた。
俺はそんな千秋が愛おしくてたまらなくなり、彼女をそっと腕の中に引き寄せた。
「……ごめん。待たせたな。これからは、俺が一番近くでお前を守るから」
千秋は俺の腕の中で少しだけ身を強張らせたが、やがてギュッと俺の背中に腕を回し返してきた。
「……生意気なパシリめ。……だから、私を、お前の彼女にしろ。絶対に後悔させないからな」
「上から目線かよ。……喜んで」
夕暮れの教室で、俺たちは初めて「親友」ではなく「恋人」として、不器用なハグを交わした。
血糊のついた段ボールが転がるシュールな光景の中で、俺たちの新しい関係が始まったのだ。
「おい千秋、お前また俺の購買のパン食っただろ!」
「ふはは! 油断したな悠真。これは『彼氏のものは彼女のもの』という、ジャイアニズムならぬ彼女ニズムの正当な行使である!」
「どんな主義だ! お前の胃袋はブラックホールか!」
文化祭から数日後。俺たちは晴れてカップルになった。
……が、傍から見れば、俺たちの関係は「親友」時代と何一つ変わっていないように見えた。相変わらずボケとツッコミの応酬を繰り返し、ゲームで本気の喧嘩をし、ファミレスで謎のドリンクを錬成している。
クラスメイトの佐藤が、俺たちの様子を見てため息をついた。
「お前ら、ついに付き合い始めたらしいな。まあ、クラスの誰もが『やっとかよ』って思ってたけど。……で、今までと何が違うんだ? 全く変わってないように見えるが」
「ん? 何が違うって?」
千秋がパンをモグモグと咀嚼しながら首を傾げる。
俺はドヤ顔で佐藤に答えた。
「甘いな佐藤。よく見ろ。俺たちには決定的な違いが生まれたんだよ」
「決定的な違い?」
俺は千秋の隣に立ち、彼女の左手をスッと取って、堂々と指を絡め合わせた。いわゆる「恋人繋ぎ」だ。
「手、繋いで帰るようになったんだよ。しかも、誰の目も気にせずにな!」
「……っ! ゆ、悠真! なんで急にみんなの前で……!」
千秋は一瞬で顔を茹でダコのように赤くし、俺の手を振り払おうとしたが、俺はガッチリとホールドして離さない。
「なんだよ、彼女ニズムの行使なんだろ? 彼氏が手繋ぎたいって言ってんだから、甘んじて受け入れろよ」
「屁理屈を言うな! 恥ずかしいだろうが!」
佐藤は「あ、うん。ごちそうさま。末長く爆発しろ」と真顔で言い残し、去っていった。
クラス中から生温かい視線とヒューヒューという冷やかしの声が飛んでくる。
「ほら、みんな祝福してくれてるぞ」
「うるさいうるさい! バカ悠真、お前今日という今日は絶対に許さん! 放課後のスマブラでボコボコにしてやる!」
「望むところだ! 負けた方が今日のドリンクバー代奢りな!」
俺たちは手を繋いだまま、ギャーギャーと騒ぎ立てた。
恋人になったからといって、急にロマンチックな雰囲気になるわけじゃない。甘い言葉を囁き合うことも少ないだろうし、これからもくだらないことで意地を張り合うに違いない。
でも、それでいい。
俺にとって千秋は、一緒にいるだけで世界が最高に面白くなる、かけがえのない「親友」だからだ。
その「親友」が、今は俺の「彼女」でもある。これほど最強なステータスが他にあるだろうか。
「これからもよろしくな、最高の親友で、最強の彼女」
帰り道、夕日に照らされた土手を歩きながら、俺は繋いだ手に少しだけ力を込めて言った。
千秋は照れ隠しのようにそっぽを向きながらも、俺の手を強く握り返してきた。
「……おうよ。覚悟しとけよ、私の彼氏。一生、私に振り回される権利をやろう」
「一生って……気が早すぎだろ」
「なんだ、不満か?」
「いや? 光栄すぎて涙が出そうだよ」
俺とあいつは、最高に気が合う「ただのダチ」だった。
でも今は、周りから「早く結婚しろ」と呆れられるほどの、最高のバカップルだ。
俺たちの騒がしくて楽しい日常は、これからもずっと続いていく。