タイトル:『俺の親友(♀)が彼氏面してくるんだが、どうやら俺も彼女面してたらしい』
「あの、すみません。このアメリカンドッグ、ください」
「あ、すみません。そのアメリカンドッグ、ください」
春の生ぬるい夜風が吹き抜ける、深夜十一時半のコンビニエンスストア。
レジ横のホットスナックケースの前で、俺――相沢透(あいざわ とおる)の声は、見知らぬ誰かの声と完全にハモった。
声の主を横目で見やると、そこにはダボダボのパーカーを着込み、寝癖をわずかに残したショートボブの少女が立っていた。大きな瞳が、驚いたようにこちらを見つめ返している。
「……あ」
「……えっと」
ケースの中にポツンと残された、最後の一つのアメリカンドッグ。黄金色に輝くそのジャンクフードは、まるで俺たち二人の闘争心を煽るかのように、煌々と照らされる蛍光灯の下で鎮座していた。
「あ、どうぞ。先におっしゃったんで」
俺は一応、紳士的な対応を心がけて一歩引いた。深夜のコンビニでアメリカンドッグ一つを巡って女子と争う男子高校生とか、あまりにもダサすぎるからだ。
しかし、彼女は首を横に振った。
「いやいや、そっちこそどうぞ。私なんて夜食のついでだし。ていうか、声かぶったの完全に同時だったし」
「いやでも、女子に譲らないのは男としてどうかと思うんで」
「は? なにその謎の騎士道精神。深夜のコンビニに騎士はいないから。いるのは小腹を空かせたゾンビだけだから」
なんだこいつ、妙に口が達者だな。
俺は軽くため息をついた。
「じゃあどうするんだよ。このまま譲り合い続けてたら、アメリカンドッグの賞味期限が切れるぞ」
「それは由々しき事態だね。……よし、じゃあ平和的に解決しよう。ジャンケンだ。泣いても笑っても一発勝負」
「いいだろう、受けて立つ」
深夜のコンビニのレジ前。店員の気まずそうな視線を浴びながら、俺たちは向かい合った。
「最初はグー、ジャンケン……ポン!」
俺はパー。彼女はチョキ。
「しゃあっ! 勝った! このアメリカンドッグは私のものだ!」
彼女はパーカーの袖をまくり上げながら、まるで伝説の聖剣を引き抜いた勇者のようなガッツポーズを決めた。俺は敗北感に打ちひしがれながら、素直に道を譲った。
会計を済ませて店を出ると、春特有の湿った風が頬を撫でた。俺が缶コーヒーのプルタブを開けていると、隣から「はい」と声がした。
見ると、先ほどの彼女が、きれいに半分に割られたアメリカンドッグの片方を俺に差し出していた。
「……は?」
「だから、半分こ。一本まるまる食べたらカロリーやばいって、買ってから気づいたんだよね。責任取って半分食え」
「お前が勝ったんだろ。なんだよその理不尽な要求」
「いいから! ほら、冷める前に!」
強引に押し付けられた半分のアメリカンドッグ。仕方なく一口かじると、ジャンクな甘みとソーセージの塩気が口の中に広がった。
「……うまいな」
「でしょ? 深夜のジャンクフードは犯罪的な味がするよね」
彼女は満足げに笑いながら、隣に並んで歩き始めた。どうやら帰る方向が同じらしい。
「俺、相沢透。お前は?」
「星野結衣(ほしの ゆい)。よろしく、相棒」
「いつから相棒になったんだよ」
「同じ釜のアメリカンドッグを食った仲だろ。これはもう、血の盟約に等しいね」
「大げさすぎるだろ」
そんなくだらない会話を交わしながら、俺たちは近所の公園のベンチに座り込んだ。
話題はなぜか、最近発売された新作のオープンワールドRPGゲームへと移っていった。
「あそこ、初期装備だと絶対に勝てないボスいるじゃん? あれ、実は崖の上から爆弾投げまくったらノーダメージで倒せるんだぜ」
「は!? マジで!? 私、あそこで三日詰まってコントローラー投げそうになったんだけど!」
「お前、プレイスタイルが脳筋すぎるんだよ。もっと地形を利用しろ」
「うるさいなー、男は黙って正面突破でしょ!」
「お前女だろ」
気づけば、時刻は深夜一時を回っていた。初めて会ったはずなのに、まるで十年来の悪友と話しているような居心地の良さがあった。
「やば、もうこんな時間じゃん。明日、高校の入学式なのに」
星野がスマホの画面を見て慌てて立ち上がる。
「お前も新高一か。奇遇だな、俺もだ」
「マジで? じゃあ、またどこかで会うかもね。じゃあな、相沢! 次はスマブラで勝負だ!」
そう言って、星野は夜の闇の中へ駆け出していった。
俺は残された缶コーヒーを飲み干しながら、ふと笑みをこぼした。
「変なやつ……」
そして翌日。
新しい制服に身を包み、緊張しながら自分の席に座った俺の隣の席には。
「……あれ? お前」
「……あ、昨日の深夜徘徊アメリカンドッグ男」
「人聞きの悪いあだ名つけるな!」
星野結衣が、にやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべて座っていた。
「へえ、同じクラスどころか隣の席とはね。これはもう、運命の相棒ってことで確定だな」
「……前途多難な高校生活になりそうだ」
俺は頭を抱えたが、その口元が少し緩んでいることには、自分でも気づいていた。
こうして、俺と星野の「最高の友情」という名の腐れ縁が幕を開けたのである。
「おい星野、お前それ本気で言ってんのか?」
「本気と書いてマジと読む。私は至って大真面目だぞ、相沢」
休日の昼下がり。駅前のファミレス。
俺と星野は、向かい合ってボックス席に陣取っていた。テーブルの上には、俺の頼んだ無難なハンバーグランチと、星野の前にそびえ立つ「メガ盛りチーズチキンカツカレー(大盛りポテト付き)」が置かれている。
「女子高生が休日の昼からメガ盛りカレー頼むって、どういう神経してんだよ。お前の胃袋はブラックホールか?」
「失礼な。これは成長期に必要な正当なカロリー摂取だよ。それに、私がいっぱい食べるのを見るの、お前も嫌いじゃないだろ?」
「誰が喜んで見るか。見てるこっちが胸焼けしそうだわ」
俺のツッコミを華麗にスルーし、星野はスプーンいっぱいにカレーをすくって豪快に口に運んだ。
「んー! うまっ! やっぱり休日はこれに限るね。あ、相沢、そこのタバスコ取って」
「カレーにタバスコかけるやつ初めて見たわ。味覚ぶっ壊れてんのか」
「刺激が足りないお年頃なんだよ。ほら、早く」
俺は呆れながらタバスコを手渡した。星野とは、高校に入学してからのこの半年間、こうして休日にファミレスでだべるのがすっかり日課になっていた。
共通の趣味であるゲームの話から、くだらないクラスの噂話、果ては「もしゾンビパニックが起きたらこのファミレスでどう籠城するか」というB級映画のような妄想まで、俺たちの会話は途切れることがない。
「でさ、そのゾンビなんだけど。私ならまずドリンクバーの機械をバリケードにするね。あの重さなら絶対突破されない」
「バカ言え、ドリンクバー塞いだら俺たちの水分補給どうすんだよ。俺はメロンソーダが飲めない世界なんて生きていきたくないね」
「相沢、お前そんなにメロンソーダに命かけてたの? 初耳なんだけど」
「今決めたんだよ。とにかく、バリケードにするならサラダバーの台にしろ」
「なるほど、一理ある」
そんなアホみたいな会話を繰り広げていると、隣の席に座っていたおばちゃん二人の会話が、ふと耳に飛び込んできた。
『ねえ見て、あそこの若い子たち。楽しそうねえ』
『本当ねえ。あんなに仲のいいカップル、最近珍しいわよ。青春って感じね』
……カップル?
俺は思わず、飲んでいたメロンソーダを吹き出しそうになった。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
「うわ、汚っ! なに急にむせてんのさ。ゾンビに噛まれた?」
「ちげーよ! ……お前、今の聞こえたか?」
「ん? なにが?」
星野はカレーを頬張りながら、きょとんとした顔で首を傾げた。
「いや、隣のおばちゃんたちが、俺たちのこと……その、カップルだとか言ってて……」
俺が少し気まずそうに言うと、星野は一瞬動きを止め、それから腹を抱えて爆笑し始めた。
「あはははは! マジで!? うちらがカップル!? ないないない、絶対ないわー!」
「……だよな。俺もそう思う」
「だよねー! だって相沢だよ? 私の最高の親友にして、右腕的存在。恋愛感情なんて、ミジンコほども湧かないっての」
星野のあっけらかんとした言葉に、俺は「だよな」と同意しつつも、心の奥底でチクッと小さな棘が刺さったような感覚を覚えた。
いや、待て。俺はいま、何を気にした? 星野の言う通り、俺たちはただの親友だ。男女の友情は成立する。俺たちがその生き証人だ。
「まあ、周りから見たらそう見えるのも仕方ないかもな。お前がいつも俺の袖引っ張って歩くからだろ」
「は? それはぐれないようにしてるだけだし。相沢ってすぐ迷子になるじゃん」
「俺は迷子になってない。ただ独自のルートを開拓してるだけだ」
「それを世間では迷子と呼ぶんだよ、方向音痴め」
星野はからかうように笑いながら、自分の皿からチキンカツを一切れフォークに刺し、俺の口元に突き出してきた。
「ほら、お詫びに一口やるよ。あーん」
「……は?」
「あ・ー・ん! 早くしないと私が食べるぞ」
「い、いや、自分で食えるし……」
「いいから口開けろ!」
強引に口に押し込まれたチキンカツは、タバスコの辛味とチーズのまろやかさが混ざり合って、なんとも言えない味がした。
「……辛っ! お前、これタバスコかけすぎだろ!」
「あはは! 騙されたな! バカめ!」
ゲラゲラと笑う星野の顔を見ていると、さっき感じた謎の棘の痛みもどこかへ飛んでいってしまった。
やっぱり、俺たちはこれでいい。
恋人なんていう面倒くさい関係じゃなく、バカなことを言い合える最高の親友。
周囲がどう言おうと、俺たちは俺たちのペースで、この心地よい関係を続けていくんだ。
……そのはず、だった。
「お邪魔しまーす! って、相沢ん家来るの三回目だけどな!」
土曜日の午後。俺の部屋のドアが勢いよく開き、星野が大きなリュックを背負って乗り込んできた。
「声がでかい。近所迷惑だろ」
「親が旅行でいないんでしょ? じゃあ今日は誰にも邪魔されない、俺たちだけの楽園じゃん!」
「言い方。なんか変な誤解を生むからやめろ」
今週末、俺の両親は親戚の結婚式で遠方に出かけており、明日の夜まで帰ってこない。それを聞きつけた星野が、「じゃあ徹夜でゲーム合宿だ!」と押しかけてきたのだ。
「男女が親のいない家で二人きり」というシチュエーションは、一般的な高校生ならドギマギする展開なのだろうが、相手が星野となると話は別だ。
「ほら相沢、さっそくセッティングしろ! 今日こそあの新作格ゲーで私がお前をボコボコにしてやるからな!」
「寝言は寝てから言え。俺のコンボの前にひれ伏す準備はできてるか?」
俺たちは早々にテレビの前に陣取り、コントローラーを握りしめた。
そこからは、ただひたすらに画面と向き合う時間が続いた。
「うわっ! 今のガードしただろ!」
「甘い甘い! そこは下段攻撃からの派生コンボが確定なんだよ!」
「くっそー! もう一回! 次こそ絶対勝つ!」
気がつけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「腹減ったな。ピザでも頼むか」
「賛成! Lサイズで、ハーフ&ハーフね。照り焼きチキンとシーフードで!」
「お前、本当に食うことに関しては妥協がないな……」
ピザが届き、コーラで乾杯しながら、俺たちは映画の配信サービスで適当なB級ホラー映画を流し始めた。
「うわ、このゾンビの特殊メイク安っぽすぎない? ケチャップ塗っただけじゃん」
「ツッコミどころ多すぎて逆に面白いな。あ、ほら、主人公が絶対行っちゃダメな地下室に向かってるぞ」
「バカだなー、フラグ建築士一級かよ」
映画にツッコミを入れながらピザを平らげ、再びゲームに没頭する。
深夜二時を回った頃、隣から聞こえていた星野の騒がしい声が、急に静かになった。
「……おい星野、次のマッチ始まるぞ」
声をかけても返事がない。
横を見ると、星野はコントローラーを握りしめたまま、ラグの上に横たわってスースーと規則正しい寝息を立てていた。
「……寝落ちかよ。さっきまで『今日は徹夜だ!』って息巻いてたのに」
呆れながらも、俺はゲームの電源を落とした。
そのまま床で寝かせておくわけにもいかず、俺はため息をつきながら立ち上がった。
「おい、起きろ。風邪ひくぞ」
肩を揺すっても、星野は「んん……」と寝返りを打つだけで、全く起きる気配がない。
仕方なく、俺はクローゼットから毛布を引っ張り出し、星野の体にかけてやった。
その時、ふと星野の寝顔が視界に入った。
普段は表情がコロコロ変わり、大口を開けて笑ったり怒ったりしている彼女だが、眠っている時は驚くほど静かで、あどけない。
少し長くなったまつ毛が頬に影を落とし、わずかに開いた唇からは、規則的な呼吸が漏れている。
「……」
なんだこれ。
なんで俺、こいつの寝顔なんかじっと見てるんだ。
心臓が、トクン、と少しだけ跳ねたような気がした。
いやいやいや、おかしいだろ俺。相手は星野だぞ。さっきまでピザを頬張りながらゾンビにツッコミを入れていた、あのガサツな星野結衣だ。
「……親友、親友。こいつはただの親友だ」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、慌てて視線を逸らした。
しかし、静まり返った部屋の中で、星野の寝息だけがやけに耳に響く。
同じ部屋に、俺と星野の二人きり。
その事実が、急にリアルな重みを持って俺の意識にのしかかってきた。
「……くそっ、なんか暑いな」
俺はごまかすように首元をパタパタと仰ぎながら、星野から少し離れた場所に自分の布団を敷いた。
電気を消しても、なかなか寝付けない。
暗闇の中で、星野の寝息が聞こえるたびに、どうしようもないほど意識がそちらに向いてしまう。
「……相沢、バカ……」
ふいに、星野が寝言を呟いた。
「……」
俺はビクッとして息を殺した。
「……そこで……右ストレートだろ……」
「……ゲームの夢かよ!!」
俺は心の中で盛大にツッコミを入れ、緊張していた自分がバカらしくなって、思わず吹き出してしまった。
やっぱり、こいつはこいつだ。
変に意識しそうになった俺がバカだった。
「……おやすみ、星野」
小さく呟いて、俺はやっと目を閉じた。
しかし、その夜見た夢の中で、なぜか星野が少しだけ大人びた顔で俺に微笑みかけてきたことは、翌朝起きても俺の記憶にべったりと張り付いて離れなかった。
「ねえねえ相沢、ちょっと聞いてよ」
昼休み。いつものように俺の席にやってきた星野が、なぜか少し言い淀みながら口を開いた。
手には、購買で買ってきた焼きそばパンが握られている。
「なんだよ、焼きそばパンのソースが服に跳ねたとか、そういうくだらない話なら聞かないぞ」
「違うわ! もっと重大なニュースだよ。……実はさ、隣のクラスの佐々木って奴から、放課後ちょっと話があるから中庭に来てくれって言われたんだよね」
「……は?」
俺の手から、食べかけのサンドイッチがポロリとこぼれ落ちそうになった。
「佐々木って……あの、サッカー部の?」
「そうそう。なんかエースストライカーとか言われてる、やたらキラキラした奴」
佐々木といえば、学年でもトップクラスのイケメンで、女子からの人気も高いという噂の男だ。
そんな奴が、星野を中庭に呼び出す?
その意味するところは、高校生なら誰だってすぐに想像がつく。
「……それって、つまり」
「まあ、十中八九、告白だよねー」
星野は焼きそばパンをかじりながら、まるで他人の事のようにあっけらかんと言った。
「お前、なんでそんな平然としてるんだよ! 告白だぞ!? あの佐々木から!」
「いや、だって私、あいつとほとんど話したことないし。なんで私? って感じだし」
「そ、それは……お前が、その……」
俺は言葉に詰まった。
お前が意外と可愛いからだろ、なんて言葉は、死んでも口に出したくなかった。
「まあ、とりあえず行ってくるわ。無視するのも悪いし」
「……行くのか?」
「え? 行かないと失礼でしょ。断るにしても、ちゃんと直接言わないと」
断る。
その言葉を聞いて、俺の心の奥底で、安堵のような感情がふっと広がった。
しかし、同時に、言い知れぬイライラが胸の中に渦巻き始めた。
なんで佐々木なんかが、星野を呼び出すんだ。
星野は俺の親友だ。一番仲がいいのは俺だ。
あいつのガサツなところも、ゲームで負けると不機嫌になるところも、よく食べるくせに太らない体質を自慢してくるところも、俺が一番よく知っている。
なのに、ぽっと出のイケメンが、星野に「好きだ」なんて言う資格があるのか?
「……相沢? なに眉間におでこ寄せてんの? トイレ我慢してる?」
「誰がトイレだ! ……いや、親友として、お前が変な奴に引っかからないか心配してるだけだ」
俺は必死に平静を装いながら、言葉を絞り出した。
「あはは、保護者かよ! 大丈夫だって。私にはゲームと食欲という二大欲求があるから、恋愛なんてしてる暇ないし」
星野は笑い飛ばし、自分の席へと戻っていった。
そして、放課後。
俺は教室に残り、カバンに教科書を詰めるふりをしながら、そわそわと時間を潰していた。
星野は中庭に向かった。
今頃、佐々木と向かい合って、甘い言葉を囁かれているのだろうか。
「……くそっ」
俺は無意識に、机の脚を蹴り飛ばしていた。
「痛っ……」
自業自得の痛みに悶えながら、俺は自分の感情の正体がわからずに混乱していた。
親友なら、「おお、ついに春が来たか! 応援してるぞ!」と背中を押してやるべきだ。
それが「最高の友情」ってやつじゃないのか。
なのに、俺は星野が他の男と付き合う姿を想像するだけで、胃の奥が鉛のように重くなる。
時計の針が五時を回った頃。
「ただいまー。いやー、長かった」
教室のドアが開き、星野がけろっとした顔で戻ってきた。
「……お、おかえり。どうだったんだよ」
俺は平静を装って、わざと軽いトーンで尋ねた。
星野は俺の前の席にどっかりと座り込み、大きなため息をついた。
「いやー、予想通り告白だったわ。『君の飾らない笑顔に惹かれました』だってさ。ドラマのセリフかよって心の中でツッコんじゃった」
「で……なんて答えたんだよ」
俺の声が、少し震えているのが自分でもわかった。
「もちろん、ごめんなさいしてきたよ」
星野はあっさりと答えた。
「『私、休日は家でゲームしてたい派なんで、彼氏とか作ってる暇ないんです』って言ったら、佐々木くん、ぽかーんとしてたわ」
「……お前、断り方の理由がひどすぎるだろ」
俺は呆れたように言いながらも、全身の力が抜けていくのを感じた。
よかった。星野は、誰のものにもならなかった。
「それにさ」
星野は窓枠に肘をつき、夕焼け空を見つめながらポツリとこぼした。
「私、今一緒にいて一番気楽で楽しいの、相沢なんだよね。変に気を使う必要もないし、一緒にいて素の自分でいられる。そういう相手がいるのに、わざわざよく知らない男と付き合うメリットがわからないっていうか」
「……っ」
俺は、心臓を直接鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
星野は俺の方を向き、いつものニカッとした笑顔を見せた。
「だから、これからも私の右腕として、精一杯私を楽しませるように! わかったか、相棒!」
「……誰が右腕だ。お前が俺の左腕だろ」
俺は顔が熱くなるのをごまかすように、そっぽを向いて悪態をついた。
親友だから。
星野は俺のことを「最高の親友」だと思っている。だから、他の男からの告白を断った。
俺も、こいつの「親友」だから、こいつが誰かのものになるのが嫌だったんだ。
……そうだ、そういうことに違いない。
俺は必死に自分に言い聞かせながら、このバグり始めた感情に蓋をした。
しかし、その蓋は、もう完全に閉まりきらなくなっていた。
梅雨の時期特有の、じめじめとした生暖かい空気が街を包んでいた。
放課後、突然降り出したゲリラ豪雨のせいで、俺と星野は昇降口で立ち往生していた。
「うわー、マジか。朝はあんなに晴れてたのに」
星野が恨めしそうに灰色の空を睨みつける。
「お前、傘持ってないのか?」
「うん。天気予報見ない主義だから」
「威張って言うことじゃないだろ。……ほら、入るか?」
俺はカバンから折りたたみ傘を取り出し、バサッと広げた。
「おっ、さすが相沢! 準備がいいねえ。じゃあお言葉に甘えて」
星野は遠慮のかけらもなく、俺の傘の中に潜り込んできた。
「おい、もっとそっち寄れよ。俺の肩濡れてるだろ」
「折りたたみ傘なんて二人で入るサイズじゃないんだから仕方ないでしょ。相沢がもっと私に寄せればいいんだよ」
「お前が俺に寄れ。俺が傘持ってやってんだぞ」
「はいはい、わかったよ。これでいいでしょ」
グイッ、と。
星野が俺の腕に自分の腕を絡め、体を密着させてきた。
「……っ!?」
突然の接触に、俺の体はビクッと硬直した。
「な、なにやってんだお前!」
「いや、こうすれば省スペースで濡れないでしょ。ほら、歩くよ」
星野は全く気にした様子もなく、俺の腕を引っ張って歩き出した。
雨音だけが響く帰り道。
一つの小さな傘の下で、俺たちの肩と腕はぴったりとくっついている。
普段、ふざけて肩を組んだり、頭を小突いたりするスキンシップは数え切れないほどあった。だが、こうして長時間、静かに密着して歩くというのは、初めての経験だった。
すぐ隣から、星野の体温が伝わってくる。
そして、雨の湿気に混じって、いつもは気にも留めなかった甘いシャンプーの匂いが、ふわりと鼻先をかすめた。
(……やばい)
俺の心臓は、先ほどから警鐘を鳴らしっぱなしだ。
ドクン、ドクンという鼓動が、星野に伝わってしまうのではないかと気が気ではない。
「おい……ちょっと離れろ。暑苦しい」
俺は必死に平静を装い、冷たい声を出そうと努めた。
しかし、星野は俺の腕をさらに強く抱え込んだ。
「ダメ。離れたら濡れる。それに、今日は少し肌寒いから、相沢の体温がちょうどいい湯たんぽ代わりなんだよね」
「俺はお前の暖房器具かよ……」
「ねえ、相沢」
ふいに、星野が少しだけ真面目なトーンで口を開いた。
「ん?」
「もしさ、私に彼氏ができたら、こうやって一緒に帰ることもなくなるのかな」
その言葉に、俺は足の動きを止めた。
「……なんで急にそんなこと言うんだよ。お前、この前の佐々木の告白断ったばっかだろ」
「いや、なんかさ。ふと思ったんだよね。私たちのこの関係って、いつまで続くのかなって」
星野は水たまりを見つめながら、ぽつりとこぼした。
「高校卒業したら? 大学に行ったら? 就職したら? いつかお互いに別の誰かと付き合って、結婚して……そしたら、『最高の親友』なんて言ってられなくなる日が来るのかなって」
星野の横顔は、いつもの能天気な彼女とは別人のように、少しだけ寂しそうに見えた。
俺は、胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。
星野が、他の誰かのものになる。
星野が、他の誰かに笑いかけ、他の誰かと手をつなぎ、他の誰かのために泣く。
俺の隣から、このバカでガサツで、でも誰よりも居心地のいい存在がいなくなる。
――そんなの、絶対に嫌だ。
その瞬間。
俺の中でずっとごまかしてきた感情が、ついに限界を突破して溢れ出した。
「親友だから」という言い訳で蓋をしてきた、見苦しくて、独占欲にまみれた、この感情の正体。
俺は、星野結衣のことが好きだ。
親友としてじゃない。一人の女の子として。
ずっと俺の隣にいてほしい。他の誰にも渡したくない。
俺は傘を持つ手に力を込め、大きく息を吸い込んだ。
「……なくならないよ」
「え?」
星野が不思議そうに顔を上げる。
「もしお前に彼氏ができたら、俺がそいつを全力で邪魔してやる。お前が俺以外のやつとバカやって笑ってるなんて、想像しただけで腹が立つからな」
「……なにそれ。相沢、性格悪すぎ」
星野は呆れたように笑ったが、その頬は少しだけ朱に染まっているように見えた。
「だから……ずっと俺の隣にいればいいだろ。お前の面倒を見れるのは、俺くらいしかいないんだから」
「……それ、遠回しに私に告白してんの?」
星野が、悪戯っぽく目を細めて俺を見上げた。
「ば、バカ! 違うわ! 親友としての、その、強い絆の確認だ!」
俺は慌てて視線を逸らし、早足で歩き出した。
「あ、こら! 待てよ相沢! 傘置いてくな! 濡れる!」
「うるさい、走れ!」
バカと親友の境界線で、俺はついに自分の気持ちに白旗を揚げた。
あとは、この想いをどうやって伝えるか。
俺たちの「親友」という関係を壊す覚悟が、俺にはあるのか。
雨は、まだ降り続いていた。
八月の終わり。夏の蒸し暑さがまだ色濃く残る夜。
地元の神社で開催される夏祭りに、俺と星野は来ていた。
「相沢! 早く早く! りんご飴の屋台が閉まっちゃう!」
「お前、さっき焼きそばとたこ焼きとフランクフルト食ったばっかだろ! 胃袋どうなってんだよ!」
人混みの中、星野が俺の袖を引っ張ってズンズンと進んでいく。
今日の星野は、紺地に朝顔が描かれた浴衣姿だった。
待ち合わせ場所に現れた彼女を見た瞬間、俺は危うく「誰だこの美少女」と声に出しかけたほどだ。
いつもは寝癖がついているショートボブの髪もきれいにまとめられ、うなじが見えている。それが妙に色っぽくて、俺はさっきから星野の顔をまともに見れずにいた。
「よし、りんご飴ゲット! これで思い残すことはないね」
満足げにりんご飴を舐める星野の唇が、赤い飴のせいか、いつもより艶めかしく見える。
「……おい、お前、今日なんかいつもと違くないか」
俺がボソッと呟くと、星野はきょとんとした。
「なにが? ああ、浴衣? 母さんに無理やり着せられたんだよねー。歩きにくいし暑いし、最悪」
「……いや、似合ってるぞ。普通に可愛い」
俺がポロッと本音をこぼすと、星野はピタッと動きを止めた。
「……は?」
「いや、だから、似合ってるって言ったんだよ。なんだよ、文句あるのか」
「あ、相沢の口から『可愛い』なんて言葉が出るなんて……明日は槍が降るな。いや、隕石が落ちるかも」
星野は照れ隠しのように茶化したが、その耳まで真っ赤になっているのを、俺は見逃さなかった。
「そろそろ花火始まるぞ。奥の広場行こうぜ」
俺は人混みではぐれないよう、自然な動作を装って星野の空いている方の手を握った。
「……っ!」
星野の手が、一瞬ビクッと震えたのがわかった。
「はぐれたら面倒だからな。迷子の星野を呼び出す放送なんか聞きたくないし」
俺は必死に言い訳を並べたが、星野は何も言わず、ただ黙って俺の手を握り返してきた。
その手は、いつもゲームのコントローラーを叩きまくっている手とは思えないほど、小さくて柔らかかった。
神社の裏手、少し小高い丘になった広場は、人も少なく絶好の穴場スポットだった。
遠くで、ドン、という低い音が響き、夜空に大輪の花火が咲いた。
赤、青、緑。色鮮やかな光が、星野の横顔を照らし出す。
「……きれいだね」
星野がぽつりと呟いた。
「……ああ。そうだな」
俺の視線は、花火ではなく、星野の横顔に向けられていた。
今だ。
今しかない。
この祭りが終われば、またいつもの「親友」としての日常に戻ってしまう。
俺は、もう親友のままでいるのは限界だった。
「……星野」
俺は、繋いでいた手を少しだけ強く握った。
星野が、ゆっくりとこちらを向く。花火の光に照らされたその瞳には、少しだけ不安そうな、でも何かを期待しているような色が浮かんでいた。
「俺たち、高校入ってからずっと一緒にいて、一番気の合う親友だと思ってた」
「……うん」
「でも、違ったわ。俺、お前のこと、親友だなんて思えなくなった」
星野の息を呑む音が聞こえた。
「それって……絶交宣言?」
星野が、わざとらしく冗談めかして笑おうとする。だが、その声は微かに震えていた。
「バカ。違うに決まってんだろ」
俺は星野の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「俺は、お前が好きだ。ゲームで負けてキレるお前も、美味そうにご飯を食べるお前も、寝言でコンボ決めるお前も。全部ひっくるめて、どうしようもなく好きだ。……俺の、彼女になってくれないか」
静寂。
遠くで上がる花火の音だけが、ドンドンと胸の鼓動のように響く。
星野は、目を丸くして固まっていた。
やがて、彼女の目からポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……ばか、相沢のバカ」
星野は空いている手で乱暴に涙を拭い、俺を軽く睨みつけた。
「私だって……ずっと前から、お前のこと好きだったのに。お前が『親友』『親友』って連呼するから、私もその枠に収まるしかないって思ってたじゃんか」
「……え?」
「奇遇だな、相沢。私も、お前が好きだ。最高の親友で、そして……最高に好きな男だ」
星野は、泣き笑いのような表情でそう言った。
俺は、繋いでいた手を引っ張り、星野を腕の中に抱き寄せた。
「うわっ……ちょっと相沢!」
「うるさい。親友の更新手続きは終わったんだよ。これからは、彼氏としてお前を抱きしめる権利がある」
「……なにそれ、意味わかんない」
星野は文句を言いながらも、俺の背中にそっと腕を回してくれた。
花火の音が鳴り響く中、俺たちは初めて、親友の境界線を越えて唇を重ねた。
りんご飴の甘い味がした。
夏休みが明け、二学期が始まった。
教室には、久しぶりに再会したクラスメイトたちの賑やかな声が響いている。
「おい相沢! 夏休みの宿題の数学、写させろ!」
朝一番、俺の席に駆け寄ってきたのは、いつものように元気な星野だった。
「お前な……夏休み最終日に徹夜でやるって言ってたのはどこの誰だよ」
「やったよ! やったけど、最後の三ページだけどうしても解けなくて睡魔に負けたの! ほら、親友の頼みだろ!」
「……」
俺はジト目で星野を見つめた。
星野はハッとしたように口元を押さえ、周りをキョロキョロと見渡してから、俺の耳元に顔を近づけて小声で囁いた。
「……間違えた。彼氏様、一生のお願いです。宿題見せてください」
「……よし、許す」
俺はニヤけそうになる顔を必死に引き締め、カバンから数学のノートを取り出して渡した。
「っしゃ! 愛してるぜ相沢!」
星野はノートをひったくると、自分の席に戻って猛スピードでカリカリと写し始めた。
付き合い始めてから、俺たちの関係は周りから見れば何も変わっていないように見えただろう。
相変わらずバカなことで口喧嘩をして、ファミレスでくだらない妄想話に花を咲かせ、休日はどちらかの家でゲームに没頭する。
ただ一つ変わったことといえば。
「……おい、星野。消しゴム落ちたぞ」
俺はわざとらしく言いながら、机の下で星野の足に自分の足をコツンとぶつけた。
「おっと、サンキュ」
星野が拾うふりをして身をかがめ、机の下で俺の手をぎゅっと握ってくる。
授業中、先生の目を盗んでの、ほんの数秒間の秘密のスキンシップ。
それだけで、俺の心拍数は一気に跳ね上がるのだ。
昼休み。
いつものように屋上で二人並んで弁当を食べていると、星野が唐突に言った。
「そういえばさ、昨日また佐々木くんに声かけられたんだよね」
「……は!? お前、また告白されたのか!?」
俺は食べていた卵焼きを喉に詰まらせそうになった。
「いやいや、違うって。『相沢と付き合い始めたって本当?』って聞かれただけ」
「……なんて答えたんだよ」
「『うん、まあね。私の最強の相棒が、最強の彼氏に進化したんだわ』って言っといた」
星野はドヤ顔で胸を張った。
「なんだよそのポケモンみたいな言い方……」
俺は呆れながらも、嬉しさで顔がにやけるのを止められなかった。
「でもさ」
星野が、少しだけ真面目な顔になって俺の方を見た。
「恋人同士って、もっとこう、甘い雰囲気になったりするもんじゃないの? 私たち、付き合う前とやってること全然変わってない気がするんだけど」
「……不満か?」
「うーん、不満っていうか……これでいいのかなって。私、彼女らしいこと全然できてないし。料理とかもできないし」
星野が珍しくしおらしいことを言うので、俺は思わず笑ってしまった。
「お前が今更おしとやかな彼女ぶったところで、俺が気味悪がるだけだろ」
「なんだと!? せっかく乙女心を見せてやったのに!」
「お前に乙女心なんてあったのかよ。……まあ、でもさ」
俺は星野の頭にポンと手を乗せた。
「俺は、今のままがいいよ。バカやって、笑い合って、たまに喧嘩して。それでいて、誰よりもお互いのことをわかってる。最高の親友で、最高の恋人。それの何が不満なんだよ」
星野は一瞬目を丸くし、それからパッと顔を輝かせて笑った。
「……だね! やっぱり相沢は私のことよくわかってるわ!」
「当たり前だろ。お前の彼氏面していいのは、世界で俺だけだからな」
「なにそれ、くっさ! でも嫌いじゃない!」
秋の爽やかな風が、屋上を吹き抜けていく。
俺たちの関係は、名前を変えただけで、本質は何も変わっていない。
ただ、これからは「親友」という言い訳なしで、堂々とこいつの隣にいられる。
「あ、そうだ相沢! 今週末、また新作のゲーム出るから、お前ん家で徹夜合宿な!」
「またかよ。お前、彼女になったんだから少しはデートらしいこと提案しろよ」
「ゲーム合宿こそ最高のデートでしょ! あ、ピザは私が奢ってやるから!」
「……仕方ないな。俺のコンボでボコボコにして泣かせてやるから覚悟しとけよ」
「望むところだ!」
俺の親友(♀)は、相変わらず彼氏面して俺を振り回してくる。
でも、どうやら俺も、こいつに対して相当な彼女面(というか保護者面)をしていたらしい。
バカで、ガサツで、どうしようもなく愛おしい、俺の最高のパートナー。
俺たちのくだらなくて最高な日常は、これからもずっと続いていく。